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東屋書店

一つのブログは一冊の本である

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昨日の話でちょっと恐ろしいことをしているのかもしれないと思った

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どうもふしメロンです。

昨日の話はこちら

gazebo.hateblo.jp

 

今日ふと思ったのですが、もしかして自分ってこの話を自分のアイデンティティとして登録してしまっているのではないのか?と言う疑問がふと沸き起こってしまったのです。

 

つまり、「自分には彼女がいた事がない」ということが自分を構成する一つの要素として成り立てて閉まっているのではないかと。

 

そう考えるとその要素を放棄する、「彼女を求める」と言う行為は自己否定に繋がりネガティな感情として反応が出てしまっているのでは?

 

マジでそうなら由々しき事態だ!

 

由々しき事態だけど、同時に彼女や結婚について自分の人生においてどういう位置づけを持つのかと問いかけると納得できる理由付けって無いんだよね。

 

子供作って思考を遺伝させる為にとかは思いつくが、彼女に対しての位置づけというのがまだ全然定まってない。「その方が楽しそうだから!」みたいな漠然とした回答はあるんだが、「彼女探さなくても楽しいことはいっぱいあるんだけどなんでその選択肢を選ぶの?」という質問に対して回答ができない!

 

しかもその「楽しそう」っていうのはデートしたら楽しかったから。から導き出された答えであって説得力にかけてしまう気がする。

 

結局はことごとく自分に対して納得できて居ないのだ。