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東屋書店

一つのブログは一冊の本である

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グローバル化によって出来ることは増えたが信じることは出来なくなった

Twitchでゲーム配信しています

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今の時代やろうと思えばたいていのことは出来る。

 

本を書きたかったらパソコンの前に座り文字を打てば、後は既に出来ているプラットフォームを利用するだけで簡単に出版できる。誰かに会いたかったら自分からコンタクトを取ることも出来るし、時間さえ合えば大抵は快く応じてくれる。絵や音楽などを創りたくなったらソフトをダウンロードすれば良いし、なんならアマゾンやなんかで買うことも出来る。ゲームを創りたくなったら、ゲームエンジンをどこからかダウンロードしてゲームもどきを創ることも容易だ。世界と勝負したくなったらそれこそYouTubeでもTwitchでもで動画を投稿・配信したりして自分の力量を試すことも出来るだろう。

 

そして、上記全てのことで収入を得て生活していくことも可能だ。

ここまで出来ることが増えた、そして実際に可能であればやってみるのも悪くないだろう。インターネット社会の中で、人の出来ることや可能性は無限大といえるまでに増えた。でも、一つだけ出来なくなったことがある。それは自分の可能性を信じることだ。

 

無限大に増えた人の可能性も、こと個人に適用するとなると途端に恐怖心に駆られる人が多い。ボクもその1人だ。本当に出来るのだろうか? こんなことをやってて良いのだろうか。このままじゃ生活出来なくなってしまうのではないか。

 

こんなことをつらつらと考えて、結局やらず誰かがやりきった物を横から見てすげぇとかあいつはへたくそだと囃し立てるのだ。

 

正直言ってこの恐怖心はどこから来るのか全く分からないが、例えば旅行に行ったりするとテンションが上がる人がいるが、それはその土地に自分のことを知っている人がいないからで、本来の自分という物を出せるからだそうだ。

過去自分が創ってきたしがらみや何かに絡み取られていると言っても良いだろう。また、過去に出来なかった行為を根拠にして出来ないという人もいる。

ということは過去に縛られていると言っても良いだろう。

 

しかし、過去と今は違い、そして未来はもっと違うのだ。過去にスマホと言う物が出現し、ここまで浸透するなんてことは考えたことも無かった。YouTuberなどという超ニッチで莫大な影響力を持つ存在が出現するなんてことを5年前10年前に想像出来ただろうか?

そうした意味では過去を参照することで得られるものは本当に微々たる物で、経験なんてものは今からやることについては全く機能しないどころか足かせになることだってザラにあるだろう。

 

しかし、今までのことはどこかで誰かが何らかのカタチで言い続けてる物だ。でも、そんな言葉を聞いても人は全く変われていない。

 

確かにグローバル化によって世の中は変わった。しかし、本当に変わらなければならないのは何かを信じることなんだろうな。