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東屋書店

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なりたい自分という幻想

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しかしながら、以前の自分というものはなりたい自分というものに振り回されていたように感じる。

そう、「理想の自分になるのだ。夢を叶えるのだ」という強い気持ちに自らが振り回されたいたといってもいいだろう。

 

その結果、理想の自分になるサポート・夢を叶えるサポートのような仕事をしている会社にお金を払っていた。ふと気がつくと、あの時に払っていたお金は何だったのだろうか? と思えてならない。

 

おまえが仕事で稼ぐ金のほとんどは他人のために稼いでいるようなものだ。
たとえば、パン屋だとか家主だとかアップルとかイオンとかアマゾンとかにな。
ほれみろ、実質的に自分のためにはびた一文も稼いでいないのだ。

 

というなかなか刺激的な概念があるのだが、あのときの自分はまさしくこれであった。当時の仕事は思い返せばなかなか大変なものであったが、その大変な仕事で稼いだ自分の金をなりたい自分という、夢という幻想に対してつぎ込んでいたのだ。

 

いや、なりたい自分、夢そんなものもなかったのかもしれない。ただ漠然と大変な仕事をしている自分から逃げたかったのだろう。あのときの金は僕の疲れを流すシャワーのように、湯水のごとく排水溝へと流れていってしまった。

確かにさっぱりしたがコストパフォーマンスは最低きわまりない。そんなことならまだ風俗やソシャゲーに使っていればよっぽどましだろうよ。

恐ろしいことにこの世の中はお金の稼ぎ方と管理の仕方を教えてくれる人は山ほどいるが、お金の使い方を教えてくれる人はほとんどいないし、そのせいあってか僕はあのときに稼いだお金はびた一文も残ってはいない。

 

実際、今となってはもう終わったことでやり直すことはできないからどうでもいいのだが、なりたい自分や夢を叶えるなどという広告コマーシャルを見るとその時のことを思い出す。

これに大金を払う人たちはその支払っている先が自分自身なのかどうか判断できているのだろうか?

それは姿見を貸し付ける赤の他人ではないと確信を持って言えるのだろうか?

そして、あなたは顔も知らない誰かのためにえんやこらと働いてお金を貢いではいないだろうか?