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センチメンタルな気分のあなたへ

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どうもふしめろです。

いつもの通りお久しぶりですね。梅雨へ入りじめじめとした気候が訪れるのかと思えば、快晴続きです。洗濯物を干すには良い季節だ。

 

その代わりと言ってはなんですが最近はよくセンチメンタルな気分、もっと具体的に言えば感傷的になっています。そう、心が痛いというわけです。

 

なぜかと言われれば、なんとも言えませんがまあバーチャルという色眼鏡を通して現実と向き合う準備が出来たと言う事でしょう。かっこよく言えばね。

その実、否応なしに現実という物をみる年齢にさしかかったというわけです。

 

 

 

こうした自分の心を痛める現実に対処するには二つの方法があります。

一つは見て見ぬ振りをすること。よく言われるようにすべては事実と解釈しか無いわけで、事実を自分の心が痛まないように解釈を変更する、と言うのが適切ですね。


頭が回る人ならうまく自分の心を痛ませずに自分を向上させるような回避の仕方ができるでしょうが、ほとんどの人はしばらくの間うまく自分をごまかせる物の時がたつにつれてどうしようもなくごまかしの効かない部分が出てきてそこで破綻します。

 

もう一つは現実と立ち向かう事、自分の心の痛みを深く知ろうとする行為です。

これはとても心が痛い。

 

突き刺さったまま放置してた矢を抜こうとしているのですから痛いのは当然です。
古傷は若さという肉にふさがれて綺麗に直っているのですから。古傷を思わせるのは今だそそり立つ見えない矢のみです。

 

この矢は人に触られるとひどく痛む。そりゃ中で肉をかき回しているんですから当然です。だから矢の向いてる方だけ人を寄りつかせない。そして自分でも矢がどこに刺さっているかわからない。矢羽根がどこにあるのかわからない。

 

いつかこの矢を抜かなければ年を取ったときにここから壊死していく可能性があることは十分わかっている。でも自分では矢は痛すぎて抜けない。人の力が必要だ。

 

友人にひと思いで抜いて貰うのも良いでしょう。場合によっては病院に行って麻酔を打って貰い取り出すのも良いでしょう。

 

でもどのみち人に見せることになる、人に触らせることになる。そこには痛みや恥を伴う。

 

現実と向き合うのは辛い、でも現実と和解するのもまた辛い。
この辛さに引き抜いた矢を加えて幸せにするのが人生という物なのでしょうか。
僕の矢羽根はかすかに見えるだけです。