東屋書店

一つのブログは一冊の本である

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キャラを変えると文章の粗が見える

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どうもふしめろだ。

昨日の記事を書いて思ったことがあるんだが。

それは何なのかと言うと、

 

キャラを変えると文章の粗がよく見える

 

ってことだ。

 

 まずはこれを見てくれ。

www.hushimero.xyz

 

時間がない人はこちらの要約を見ておけばOK

 

  • 僕の文章固いから柔らかくしたら読みやすいんじゃね?
  • じゃあ同じ文章を柔らかく書いてみよう!
  • 結構よさげ。ちょいちょい柔らかくしていこう。

 

よし本題行くぞ!

 

推敲について

推敲って難しいよな。何が難しいって校正とたまに意味を混同して、作業も二つをぐっちゃぐちゃにやっちゃったりするところ。最終的に今何やってるかわからなくなるから怖いところだ。

 

それにもっと怖いことは、自分一人でやってるからあっちが立たずあっちが立たずと言った感じで文章がどんどん悪くなったり、よくなったりしてもう脳みそがぐちゃぐちゃになる。

そして推敲を辞める見極めが難しい。基本的原因としては最初から最後まで展開わかっちゃってるから所々脳内補完して架空のストーリーが完成していることなんだ。

 

そうしたときに参考になるのが、藤井太洋氏が講演したこのセミナーの一節。

 

まず一番確実にものが良くなるのは、紙に印刷して赤字を入れることです。書いているエディターではないところで、推敲することです。画面でもかまわないけれども、まったく違うフォーマットにいったん変えて推敲してみる、と言うのは確実に良くなります。

電子出版、独立作家の執筆・出版手法—日本独立作家同盟 第一回セミナー〈藤井太洋 講演録〉 日本独立作家同盟セミナー講演録[Kindle版] 位置№501

 

そう、まったく違うフォーマットに文章を落とし込んで自分の視点を変えて再度見つめ直す。こうすることで格段に良くなるぜ!と言っているんだ。

まあ、このことは多くの作家さんが言っているとおり、文章は味噌漬けのように寝かせ!に通ずるものがあるなーと思った次第。たぶんあまりにも言われ過ぎてるからマジで効果あるんだろうね。

 

自分自身、実際何度か試してみて効果のほどは実感しているんだが、やるたびに最大のデメリットが目の前に立ちふさがるんだ。それは時間がかかりすぎること。

人によっては一か月くらい寝かせと言っているんだが、そんなことブログでやってたら世話無いわな。いつブログ更新するんですかって話だよ。

 

だからそのために藤井太洋氏の言っている、フォーマットを変えろと言う手法は時短としていい効果があると思っている。

 

だって寝かせる根本的理由としては、自分の頭の中から書いた文章をできるだけ追い出して新鮮な目で目直せと言うことだからね。フォーマットを変えて視点を変えるのも同等の効果があるんじゃないかな?

キャラを変えてみる

ただね、ブログ書いて一回紙に印刷して~っていやいいのはわかるんだ。いいのはわかるんだよ。たぶん絶対効果ある。

でもさ、みんなブログだけ書いてるわけじゃないじゃん?あたりまえだけど、仕事もあり、家事もありってやってる中でそんな作業してる暇ないじゃない。

ブログが趣味ならまだわかるけど、それでも毎日更新やろうぜとか言ってると圧迫されて取れなくなったりするじゃん??

 

「So what to do?」じゃあどうする?

 

いい言葉だ。これが言いたいがためにブログを書いているところがある。

ちなみにこれはjMatsuzaki氏のブログから拝借している。ぜひみんな見に行ってくれ。

jmatsuzaki.com

 

それはそうとして、じゃあどうするか?時間がない!と言う僕らはどうすればいいのか?

それが昨日の記事に詰まっていると言っても過言ではない。

 

そう!同じ文章を二度書く。

 

ただしキャラを変えて!

 

キャラを変える?おいおい、自分はブログを書くためにキャラ変えてるんだぜベイビー

 

と言いたいのはよくわかるからまず僕の話を聞いてくれ。大丈夫だ後でテキーラをショットでたらふく飲ませてやる。ああ、金なら安心しろ。君が酔いつぶれたら颯爽と俺は帰るからな。

 

そう、キャラを変える。これだけで、文章が劇的によくなるんだ。

なぜか?それはフォーマットを変えるという先ほどの話に立ち返るのだが、心のフォーマットを変えるということだ。

 

例えば親に見せる顔、友人に見せる顔、職場で見せる顔、夜のベットで見せる顔。

人にはさまざまな顔があるということはすでに親愛なる読者の皆様はご存じのはずだが、その顔が心のフォーマットなのだ。

それぞれが全く違う自分である。これは全く持って断言していただける話であると思う。

 

ではそれぞれの顔で自分の文章を書き直した場合はどうだろう?

 

やれあれがどうのこれがどうのと言う話になるだろう。いや、なってしかるべきだ。親にかける感謝の愛と、友人に贈る愛と、夜のベットでささやく愛が違うように、文書もそれ相応に変わってくるはずだ。

そしてその時々に説明不足という物が発見される。親に出来る表現ではこれが足らず、夜のベットではこれが足らずと言った話になってくる。

ではさらに話を発展させて、夜のベットで出来る表現で書いた文章を親に出来る表現で書き直した場合はどうだろう?ここに今回の話のミソがある。つまり、

 

まったく別の自分でその文章を見れるということだ。

 

これがどれだけ素晴らしいことかは語るまでもない。

まさしくこのことが、文章の推敲で必要な心構えなのだ。

 

意外と文章を寝かせる必要はないかもしれない。

 

まとめ

まさかここまで劇的な改善があるとは思いませんでした。

あとは、書き直した文章を誰の顔で清書するかどうかです。その判定が一番悩む所かもしれません。

ちなみに何がどう変わったのか?と言うことなのですが、半分くらい文章を消してしまったので、残っていたただしキャラを変えて!の章だけ元の文を載せておきます。

 

 

しかし、このブログ一記事にかける作業量ではないような気がします。出来るだけ毎日更新するように心がけているこのブログですが、寝かせると言っても朝書いて夜に見直しみたいなそんなことくらいしかできそうにありません。

 

ではどうすればもっと僕の文章が良くなるのか?どうすればもっと伝わるのか?その答えが昨日の記事からわかったような気がします。

それは前述の通りキャラを変えるということです。

 

そう、自身の心のフォーマットを変えるのです。

 

そうすると、いろいろ粗が見えてきます。これで伝わっているだろうと思っていたらキャラを変えた途端に、全く伝わっていないことが一目瞭然でわかりました。逆にいらない文章もよくわかりました。なぜこの文章を書いたのか全く分からないのです。

 

もちろんこの方法はできる人できない人がいます。心のフォーマットを変えるって何を言ってるか全くわからない人もいるでしょう。まず心にフォーマットがあるのかどうかもわからないだろうと。

 

しかし、親の前でする顔と友達の前でする顔、職場でする顔が違うように、確実に誰にだってフォーマットはあります。

 

そのフォーマットを意図的にここで変えるのです。自分の多種多様な顔で文章を見つめ直す。先ほどの例で言えば三つの顔で見直すことができます。

 

都合三人の見直し人がどこからともなく用意できる。これは素晴らしいことでは?