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人生は一度腐らせたほうがいいのではないだろうか?

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どうも人生迷走状態のふしめろです。

これだけ迷走してると何言っても大体味が出るから困るんだよなこれ。

 

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人生を大豆に例えると

大豆、そう大豆。

畑の肉って異名があるあのキング・オブ・サクモツね。

 

まあ、僕を含め親愛なる読者の皆様は各人生のキングであるので例えにぴったりだと思うわけ。OK?

 

さて大豆はご存知の通り様々な食用利用があるのよ。

枝豆に始まりきな粉に始まり醤油味噌マジでさまざま。おかずにもなるし調味料にもなる。変幻自在。まさに忍者。

この話しだすとやっぱり人間てすごく大豆に対して試行錯誤しまくってると実感する。

 

だから人生に対して試行錯誤しまくってる僕らも大豆と
根本では同じだと思うのよ。

 

畑にまかれてすくすく育ってどう利用されるかで収穫段階が変わるってのも、この世に生まれて義務教育に育てられて中学卒業時くらいから社会に対してどう生きるか試行錯誤し始める。似てるよね。

大体そこから僕らは人生設計をするよね。医者になるとか大企業はいるとか起業するとかそういう目標をもって行動するよね。うんすごくいいこと。いいことだと思うよ。

 

でもさ、このブログ読んでくれるような人ってさ俺と同じで中退したりとか退職したりとかなんか要因持っちゃって働きづらいなとかそういう人がよく見てくれてる気がする。

 

僕が今まさにそういう時期だからか知らないけどね。

 

人生を腐らせる

でさ、僕は起業したいとか思ってもう3月に正社員退職するんだけどさ。

すげえ不安。不安すぎる。

収入がどうだとかもう考えられないし、取り急ぎフリーターやるしかない。

一生フリーターだったら?
老後はどうするの?
結婚とかどうする?
家とか?車とか?

もう考えること多すぎ。今の時代正社員でも普通にこれらの案件こなせなかったりするからフリーターとかもう関係ないのかもしれないけどね。

 

でさ、僕思うのよ。もうこの辺のこと考えるのやめようって。いや、普通に頭抱えたくなったりするだろうけどさ、とにかく今この時を一生懸命に生きようって。

 

一生懸命生きてる時ってさもうなりふり構ってられないよね、将来の事とか考えられないし、もう今目の前の事しかわからないじゃない?

受験を思い出してほしいんだけどさ、一生懸命やってるともう受験とかどうでもよくなって今目の前にある問題をこなすことしか頭になくない?

そりゃたまには志望校が~とかほんとにこの学校でいいのか~とか受かるんかこれ~とか頭抱えるけどさ、もうそういう期間って模試、模試、過去問、模試、過去問で目の前のことで頭いっぱいで基本将来の事とか頭にないと思うんだ。

 

で、ここが重要なんだけどその期間って何か生産した?何も生産してないよね。

受験準備から合格発表まで価値のあるものって何もしてないよね。ただただ大変だったという気持ちだけで、多分何も生産してないと思う。

 

僕が思うにその期間は短期的に見ると無駄なんだよ。

 

だってその期間一生懸命頑張ったって志望校行ける人ってごく一部で実を結ぶとは限らないよね。結局のところ浪人したりして予備校通いとかなんかしちゃったりする人だっているんだから。

 

だからその期間君は人生を腐らせてると言っても過言ではない。

 

でも、それってさっきの大豆の話で行くとあえてその期間人生を発酵させてるって話になると思う。ゴールは味噌か納豆かはたまた醤油かわからないけど。決して枝豆みたいに姿かたちのまま茹でているわけではないと思うんだ。

 

今までの自分は部活で仲間とワイワイやったり、友達と遊びに行ったりなんかして恋が云々とかやってたりして青春の1ページとかやったかもしれないけどさ、この受験期間においてだけはもう、ほかの何もおろそかになって勉強一本集中してたと思う。

 

だからこそ、この人生を発酵させるというプロセスは非常に意味がある行為だと思う。

 

味のある自分

 

今回は受験みたいに明瞭な結果があるわけではなく何になるかわからない。

大豆みたいに味噌や醤油やすでに結果が分かってる手法なんて存在しない。

 

しかし、今を一生懸命生きることができるのであれば、

 

人生を発酵させて今までとは違う、味のある自分になることができる。

 

味噌のようにコクがあり、醤油のように深みがあり、納豆みたいにネバネバしてる。

そんな人生になることだって可能だ。

 

その先が何になるのかはわからない、もしかしたら完全に腐ったり本当は発酵じゃなくて豆乳になったり、にがり加えられてたり、おからになってるかもしれない。

でもそういう期間がない限り君はいつまでたっても収穫されたばかりの生の大豆のままだ。

 

まとめ

この生大豆を何になるかわからない発酵に回す回さないは全く持って個人の自由だ。

ただ、もし自分が今よりもっとよりよくなりたい!変わりたい!と思ってるなら、つらい発酵の期間ってのは必ずやってきてそれは避けては通れない道だと思う。

ただもう僕はこの年齢において一本集中なんて環境は作ることはできない。生活のための仕事や何かはやらなくてはいけない。日々消耗してしまうだろう。

 

だからこそ、

 

これからの発酵の期間をいかに楽しめるか?

 

それがこれからの発酵期間をへて大成するかどうかの境目なんだろうな。