東屋書店

一つのブログは一冊の本である

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さてまた勘を取り戻していこうか

どうも、ケンイチです。

 

ん? 名前変わりましたねって?

そう、いろいろ思うところがあって名前を変えました。

 

僕は長いことふしめろもしくはその前身としての名前を使いネット上で活動しておりました。
この活動という意味をもう一度確認したいと思ったのです。

 

というのも、ネットで活動する。こうして文章を書く、もしくは動画を作る、絵を描くなどといった行為は、その実ネット上で自分の居場所を作るためのものであると僕は思いますし、そもそもそんな感じのことを言っている人がごまんといます。

 

そうして名は体を表すではありませんが、ネット上では名=体みたいなものですから、実際僕はふしめろという体でこのネット上に居場所を作ることに成功しつつあります。

この点皆様にはすごく感謝しております。

 

しかし、どうでしょう。僕は今までふしめろという体で居場所を作ることができましたが、その魂*1つまりケンイチには居場所を与えることをしておりませんでした。

 

ケンイチにはリアルでもネットでもそういった居場所がなかったのです。

 

ある時こういわれました。

あなたがネットにつながっていないときに「さみしい」と感じるのは、あなたのもう片方の居場所がどこにもないからだと。なるほど、まさしくその通りです。

 

実家にもあまり僕の居場所的なものは存在しませんでしたし、ネットにはふしめろの居場所しかありません。この魂の居場所つまりケンイチの居場所は果たしてどこにあるのでしょうか?

 

ふと思いました、もしかして僕はこれを女性ひいては彼女に居場所を求めようとしてしまっていたのではないかと。だからこそこれほどまでに彼女や性的な行為が好きだったのかもしれないと!*2
多分それはこの上なく相手にとって有害な考え方でしょう。

 

そもそも僕は一度学んだはずです、前職で上司に依存しようとして*3手痛いしっぺ返しを喰らった僕です。

 

それと同じことを僕はもう一度行おうとしていたということに、愕然とした気分になっております。

 

とはいえ、このケンイチをほっぽるわけにも行きません。ケンイチはリアルでセコセコ働いているのです。ケンイチにも一つの居場所がどうしても必要です。

でなければまた、SCPのEuclidのごとく予測不可能な事態を巻き起こすでしょう。

Euclidクラスのオブジェクトは性質が十分に解明されていないか、本質的に予測不能である異常存在。信頼できる収容が常に可能とは限らない一方で、Keter分類に値するほどの脅威を有さない。

https://scpnote.com/archives/5812037.html

 

というわけでどうすればいいか考えることにしましたが普通に簡単なことです。
ケンイチに居場所を与えればいいわけです。
リアルでもネットでもどこでもいいのでケンイチに居場所を与える。

 

そうして思いついたのがこのブログをケンイチの居場所にすることです。

ふしめろを育てた時もこのブログが実質的な始まりでした、ここはふしめろのゆりかごのようなものです。

 

なのでケンイチをこのゆりかごに入れて居場所を与えましょう。

そうすればそのうち育ってふしめろみたいに羽ばたいていきます。

 

よってこのブログはこれからケンイチ名義で更新していくことにします。

これが吉と出るか凶と出るかはまたその時ですが、いいことになることを願っています。

 

可能な限り毎日更新していくことにしましょう。

 

それでは、皆様また明日。

ふしめろより。

*1:VTuber的表現

*2:とはいえ気が付いたとしても好きなことには変わりありませんが、過度に好きだったということです

*3:なんというか評価されたい的な依存というか自分の評価を上司に依存しようとしたということです未遂に終わりましたが

やっぱり僕は人から愛されたいのです

 どうもふしめろです。

 

持ってく荷物の準備に追われています。

概ね終わりまして、スーツケースを持ってみたら持ち上がらず、これほどまで重いモノを持って行こうとしていたのかと一人驚いていました。

 

そんな準備のさなか、ひさしぶりにこの本を読みました。

 

 この本は2015年に購入し一回読んだきりでしたが、久しぶりに読まねばと思い読んでおりました。

 

タイトルの通りこの本はモテるための事が書いてあって、その大原則はモテないのはあなたの心の内面や振る舞いがキモチワルイからなので、それってどういうところなの? てなことが書いてあります。

 

 

当時この本を読み精神的なショックを受け色々変わろうと決意してはおりましたが、今読み返して思うところは、変わる努力を三年サボってしまったなと言うところです。

 

言い訳は色々ありますが、特に女の子に出会う事もなくときめいた事も無く、女の子に出会い始めるようになったのは今年の初めくらいからで、そこに至るまで完全に自分にとっての優先事項ではないと思ってしまっていた事が行けなかった。

 

決してそんなことはない上に僕はずっとずっと恋人がほしい、セックスがしたい、愛し合いたいと思ってきたはずです。

なのに僕はサボっていました。
優先事項ではないと思い込み自分を変えることから逃げていたのでしょう。

 

 

今から30歳まで後三年あります。
サボった分から始めます。

 

恥ずかしげも無く言いましょう、やっぱり僕は人から愛されたいと思っているのです。