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一つのブログは一冊の本である

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やっぱり人って思考が本体なんじゃないかという話

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okite.hatenadiary.jp

 

どうもふしメロンです。

さっきブログ書いたばっかりなのにね、また書いちゃうんだもんね、すさまじいね。

 

さて、僕はA1理論さんのブログのある記事をみてブログをはじめたといいう経緯があるので彼を購読中としているのですが、さっき過去記事を漁っていたら面白い行を発見したのです。

 

そう言えば2013年のブロガー・サミットで、 「あなたにとって『ブログ』とは?」 と言うお題で登壇している人たちが話されていた時、誰かが、 「ジョジョの『スタンド』です。」 と言ったので、 「えっ!?ブログが『スタンド』ですか!?」 と聞き返すと、 「いえ、ブログが『本体』。私が『スタンド』です。」 と言った。 会場はどかーん!と笑いが起こったが、本人はおそらくかなり大真面目に言ったんだと思う。 僕はそれはめちゃくちゃわかる!! 僕もその人と同じ『概念』で生きているから。

ブログが人生の『主(あるじ)』、自分の体はその主に操られている忠実な『ロボット』。ブログで自分の人生を制御する! - A1理論はミニマリスト

 

なるほどと、僕は思いました。

以前どこかで確かドワンゴ川上量生会長が、「人間は思考を伝播させて行くのだ」と言ったニュアンスで物申していたのですが、僕はそこから人間は思考が本体であり肉体はその付属品であると言った考え方をするようになりました。

 

A1理論は文中で

 

僕は「僕単体」では意味をなさない、とさえ考えている。 ネットに繋がることで初めて意味をなす。 画面の向こう側から僕を操る「主」にコマンド入力されて、やっと動き出す。いわば画面の向こうの「主」に忠実な「ロボット」だ。 「主」がコマンドを入力して初めて動いたり戦ったりできるドラクエの主人公と同じだ。 コマンド入力がなければ、ピコピコ動くことはできるけど、それは僕の行動であって、僕の行動ではない。

ブログが人生の『主(あるじ)』、自分の体はその主に操られている忠実な『ロボット』。ブログで自分の人生を制御する! - A1理論はミニマリスト

 

などと仰っていますが、まさにこれなのではないかと思いました。

まさに思考が本体!体は付属品!僕はこの状態が人間の正統進化であると思います。なぜなら肉体としてある場所までは完成した我々が成長できる場所としては精神世界しか無く、精神世界は成長させればほぼ無限に成長できるという自負は誰かしらか有るはずです。そうして際限なく肥大した精神世界は肉体から一部離れゲームの三人称視点的に肉体を見下ろしあれやこれやと支持をするわけです。

しかしそれだと目に見えない精神は風船のようにあっちへこっちへふわふわしてしまうのでPCの電子ネットワーク内に退避する事ができ更には精神的に可視化できた。その結果が「主」と言う概念でしょう。

そして、これは勝手に思っただけなのですがもしかしたらA1理論さんが一番興奮するのは自分の思考が他者へ伝播し感染することのではないか?

つまり思考の子孫を造ることが興奮するのではないのかなと?文中では「理解できる人が理解できればいい!」と言っていますけどね。

 

 

ニコニコ哲学 川上量生の胸のうち

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