どうもふしめろだよ。
わーお素晴らしい日だ。
こんなにも素晴らしい記事とその書き手を見つけることが出来たというのは、ある種運命的なものを感じざるを得ない。
現役中学生ブロガーのにしすーさんの書かれたこちらの記事だ。
推敲の重要性
さて、彼女の文章は非常に見やすい。
彼女が言うには何度も何度も3回は推敲しているそうだ。
すでに察しのよい読者の方ならばお気づきであろうが、僕の文章は一撃執筆で書きぬいた後、秒速で東屋書店に出荷される。
推敲する時間はほぼない。自己弁護のために強いて言うのならば、見出し分書き終えたら一回見直し整合性を確認して次の見出しへといった感じで一応はしている。
もちろん、そんなことをしていたらテンションによって推敲レベルにバラつきが出るのは必然だ。その見出しを書いた勢いで推敲しているし、そもそも書き終わってないので早く続きを書きたいと気が急いてしまう。
つまり書店を名乗っておきながら、ある意味チラシの裏の集まりを陳列している状況なのだ。
ああ心が痛い・・・
僕は読んでくれている人にチラシの落書きを見せ続けていたのだ。
僕は読者の方にも謝らなければならない。
本当に申し訳ない。
なのでこの記事は3回推敲することにする。
いい文章を推敲元とする
とにもかくにも彼女から推敲の重要性を今更ながら教えてもらった若干24歳の僕ではあるが、改めて推敲と言うものを考えていくと一つの疑問が生まれる。
推敲の重要性は解ったが、何をもっていい文章とするか?と言う疑問だ。
文章を書いていくとどうしても自分の癖が出て、上述の通り読みにくい文章が出来上がる。そこで行う推敲とは「文章をよくするために練り直すこと」である。
誤字脱字は例外としても、この読みにくい文章を読みやすい文章へ変える推敲は執筆作業で最もクリエイティブな作業の一つと言ってもいいだろう。
では、その「よく」と定義されるためのモデルとなる文章は一体全体どこから仕入れるのか?
実は彼女はそれについて重要な知見を提供してくれた。
超意訳すると既にいい文章となっている物を探して読みこめ。と言うことになるがまさしくその通りだと思う。
僕は今までラノベを大量に読んだり海外小説大量に読んだりしていて、彼女の定義からは少しそれるが文章だけは彼女と同じくらいかそれ以上に読んできた自信がある。
なのでこうやってある程度の長文が書けたりするのであるが、いい文章と言われると、これまで意識して読もうとしたことがないような気がする。
彼女ははあちゅう氏著の
半径5メートルの野望を読み込んだと言ってるが、考えてみるとそれは選択として非常に正しいと思われる。
なぜならはあちゅう氏をはじめ現在プロブロガーと呼ばれる人たちは、自らをマーケティングし商品化できる人間であり、
そこから生み出された文章は名前を見なくても「ああ、あの人が書いたな」と判るほどにキャラ付けされた、一種の芸術品のような文章だ。
故にそこまで心血注がれた文章を参考に推敲を重ねれば、確かに彼女のようないい文章が書けるだろう。
うーむ僕もそういう風に読みたくなってきたな。
文章のテンプレートを頭の中に作ろう
結局はからだで覚えるのしかないのかなぁと思います。
物心つく前、それもよちよち歩きができるようになったくらいから、母が毎日のように図書館に連れて行ってくれていたそうです。夜、寝る前には、10冊以上もの本を読み聞かせてくれていました。一晩に10冊以上を毎日です。
私が今でも本を好きなのは、他でもない母のおかげです。
母が毎日毎日読み聞かせをしてくれていたからこそ、本の世界の素晴らしさを知ることができました。
小さいときから、本がずっとそばにありました。
実は、それが一番大きいのかもしれません。一時期、本から離れたときもありましたが、そのときだってマンガは読んでいたし、やっぱり本と私は切っても切り離せない関係にあるのかなぁ、と思ったりします。(笑)
【1/20追記】中学生ブロガーが教える、文章力をつけるたった5つの方法。 - にしすーごと。
大量の文章を読んでいないと文章は書けない。
僕はさっきも言った通り本を読みまくっていた。
さらに、インターネットがADSLくらいになった時から大量のブログやらSSやらチャットやらWIKIやらの文章に触れてきたがこれらが非常に役立っていると感じる。
書こうと思ったジャンルについて大量の文章を読んでいないと、文章を書こうと思っても語彙がないと書くことができないのだ。
例えば9割直感でこの記事は書かれているが、ここまで書けるレベルの直感を養おうと思ったらそれこそ10冊20冊の本程度ではまるで足らない。それこそ1000冊も読んでやっとか?と言った話だ。
なので僕は小説やネット上の文章と比較して、レポートや論文、小論文と言った文章をあまり読んだことがないため、そういったものを書く場合は非常につらい思いをしている。
書く内容がないとかそういう話ではなく、書き方がわからないからだ。もし、論文を大量に読む生活であったらなら確実にここのタイトルは東屋研究室とか言ってすさまじい硬い文章を書くブログになっていただろう。
まとめ
今回彼女には並外れた感謝の気持ちがある。
なのでこの記事は珍しく当日出荷ではなく、3回推敲したのちに出荷と言う形をとるため少し更新が遅れる申し訳ない。
まだ彼女を知らない読者は是非彼女のブログを見に行ったほうがいい。
気持ちのいい文章とはこういうことなのか!と言うことがよくわかるはずだ。
なんなら彼女の文章を読み込んで自分のものにしてもいいかもしれない。
また、今回は前述したとおり推敲を3回重ねている。
結果として文章構成は未推敲時から大幅に変わり、多量の加筆訂正が加えられたため全体としては4割くらい文字数がアップしている。
素晴らしい結果だ。
大量の文章を読んでいると言う前提はあるが、文章を見直すだけでここまでの成果が得られるとは思わなかった。
また、推敲を重ねるにつれ難しい局面が幾度となくあったが、そのたびにどうすれば最高の文章が書けるのかと知恵ふり絞って考えていたが、その度に過去読んだ文章が甦り手助けをしてくれたように思う。
いい文章を読み込むと言う重要性に今一度深い段階で理解することができた。
彼女をきっかけとしているが、いい経験をさせてもらった。次回から積極的に推敲を重ねるようにしよう。
ただ、そのぶん記事の更新が減ってしまうのが難点と言えようか?何か解決法があるはずだが宿題とする。
改めて今回は推敲の重要性に気づくことができた。ぜひ体得したいものである。
それではまた次回!