どうもふしめろです。
僕は最近どうしても許せないことがある。
音楽が生活の一部だと言うと自動的に音楽やってた扱いになるのが許せない!
なぜ許せないのか
まず許せないのが、僕にとって音楽は生活の一部と言うと
え?ギターやってたの?何か引けるの?
って聞かれることだ!
まず僕はギターは親の借りて触ってたけど指がつってあきらめたし、キーボードはなんかよくわからんくて辞めたし、ザフーンはリードで何度やっても音を出せなくてあきらめた!
なので楽器は全くできない!
そしてじゃあ、アーティストの知識があるか?と言われたらそんなものは皆無だ!
アーティストの名前はかろうじてわかるが、じゃあそのアーティストがどうのこうので、こういう裏話がとかいうのは知らん!わからん!
こんなこと言ってると多分音楽批評家とかカッチョイイバンドマン諸君には軽蔑した目で見られるだろう。なんなんだお前と、お前は音楽をどのように生活の一部にしているのかと?
俺たちは人生の一部が音楽なんだと!
そこが間違いなんだよ!
なんで生活の一部だと言い張れるのか?
なぜなら僕はしょっちゅうブログ記事を書くときに音楽聞いてるし、車運転するときは必ず音楽かけてるし、電車乗るときとか街中歩くときとか80%くらいの確率で音楽イヤホンで聞きながら生活している。
それこそ仕事中だって尾崎豊のI LOVE YOU口ずさみながら作業してるんだ!
これが生活の一部じゃないなら何が生活の一部だ!
あなたたちは人生の一部が音楽なのかもしれない。確かに僕の人生の一部は音楽ではないだろう。
しかし、僕の生活の一部は前述の通り音楽なのだ!僕の生活に音楽が寄り添っている。
確かに知識はないし、楽器は弾けないが、へたくそながら踊ることができるぞ!
口ずさむことができるぞノリがいい音楽を知っているぞ!
これが生活の一部じゃないならなんなんだ!
何でこんな記事を書いたのか
この記事を書いてて僕はどうしても僕は音楽が生活の一部って言う言葉が書けなかった!
その悔しさが、この文章を書く原動力となっています。
なんで書けなかったんだろう か?そう思うといてもたってもいられなかった。
要は音楽やってる人たちから比較されるのが怖かった。
そういう話です。
まだまだ人から見られる自分と言うものが邪魔をします。
ここは真に自由な場所であるはずなのに、ポジティブが加速する場所であるはずなのにネガティブを持ち込んでしまった!
反省と同時にこの轍は二度と踏まないと決意を新たにして締めくくりましょう。
なんだこの本は・・・すさまじいタイトルで食指が動いてしまう。