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精神的欲求があまりにも肉体的欲求に結合されていることに驚く





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先日NewsPicksのウィークリーオチアイで、落合洋一が言っていた言葉が非常に気にかかった。

 

要約すると以下の通りだ。

 

UberEATSで奮発して一枚三万もするステーキを頼んだんだが、三万払ったとは思えない容器で来て、マジかよと思った。

なのでここに付加価値をつけるには相当な金を払わなくちゃダメそうだなと言うことがわかって、ただこれって現状その付加価値を付けるだけのコストを払ったら家に板前さん呼べちゃうからどうなのって話で。

お店だったらなんかいい感じの内装だとか、いい景色が見れるとか、雰囲気がいいとか、人間はそこに置いておくだけで肉体的欲求があるので、それを解決すればいいんだけど、これを家でやるとなったら、ここに膨大な付加価値を付けられる可能性はあるよね。

 

みたいなことを言っていた。

 

 

落合洋一の本は読んだことあり、アウトプットが強烈に難解な人間であることは知っていたがまあニュアンスは理解することはできる。

 

そこでここしばらく肉体的欲求を解決できない*1のであれば、精神的欲求がインターネット空間上で解決できればそれは付加価値なのではないだろうかと考えていた。

 

つまり肉体的欲求から解放された場合に起こりうる欲求、精神単体での欲求とは何かということだ。それをずっと考えていたのであるが、僕個人についてあまりにも精神単体での欲求と言うものがなかったのだ。

 

まず三大欲求と言われる、睡眠欲・食欲・性欲について考えてみると、これらはすべて肉体的欲求に直結するものである。

睡眠はまあ寝ることだし、食欲は肉体の空腹感によって支配されている。性欲は子孫を残すという根源的欲求であり最もわかりやすい快楽の象徴でもある。

そして次に物欲、モノを管理統制下におこうとする欲求、これも精神的と言うよりは物理寄りの肉体的欲求なのかもしれない。

そして社会的欲求、他者からの相互作用を軸に自らの立ち位置を決める欲求。これはかなり精神的な欲求と言える。

 

ざっくりいくつか挙げたが、おそらく僕個人の考えの上では人間はこの間までずっと社会的欲求以外はほぼすべて肉体的欲求の解決にいそしんでいたのではないだろうか?

肉体的欲求はわかりやすい。トイレが汚いよりも綺麗の方が気分がいい。なぜならトイレが汚れていれば臭気が発生し、嗅覚を不快に刺激する。なので掃除をし刺激を緩和して快を取り戻す。

この繰り返しだ。いい雰囲気のホテルの方が気分がいい。なので香を焚いて嗅覚を刺激し、BGMをいい感じの物を流すことによって快を演出する。

 

考えていくうちに方向性が単調シンプルに思われて仕方がない。人間と言う存在が得られる情報センサーが五感*2しかないことに起因するからなのか? なので、五感を刺激する道具だけそろえて、デザイナーやアーティストが場の五感強度の調律を行うという行為が蔓延してしまっているからなのか?

 

まあそうなんだろうが。

 

そう考えて話が戻り精神単体での欲求とは何だろうか? 全く思い当たらない。

精神の立ち位置が肉体の上位概念だからなのかもしれない。PCの五感がキーボードマウス、カメラもろもろで、そこからの入力に反応して各自処理をするCPUのようなものなのかもしれない。

 

そうなるとCPUの欲求とは何かという話なってくる。常駐されているタスクを処理すること? しかしそれは脳にしてみれば恒常性の維持。飢え渇きを通して襲ってくる肉体的欲求に相違ないのではないか?

 

社会的欲求か? しかしそれはネットワークにつながって、恒常性の維持のために走っているタスクを処理するための儀式に他ならないのでは?

 

肉体的欲求からの解放された世界を考えるのは難しい。なんというか4次元を考えているみたいだ。

*1:コロナ禍において従来通りの肉体的欲求の解消行為が難しいので、精神的な空間であるインターネット空間での精神的欲求とは何か?

*2:実際にはもうちょっと細かく分かれるが