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NFTアートを調べてたら現代アートにドはまりした件

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タイトルの通りだが、明らかに現代アートはオタク素養のある人にとってドはまりする条件がそろいすぎてるので、まとめていく。

NFTアートから現代アートへ

そもそもNFTアートに興味が出たのはもともと仮想通貨界隈のニュースはよく調べていたので、その発展として情報をたどっていった時のことだった。

というかみんなもニュースでうんたらかんたらでなんちゃらが1億円とかいってマジで子供の落書きみたいなものが掲載されているのを見たことがあると思う。

news.yahoo.co.jp

そんなのみたら俺も俺もってなるでしょ。僕はなったね。

それで色々調べて作っては見たけど売れないのでおいおいって感じになったんだけども、それと同時にアートは前から買ってみたかった。

というかちゃんとした海外のビジネス書には様々な投資の例としてアート投資が挙げられていることが多いので、ほんまかよと思っていたのが本音である。

 

というわけで現代アートオークションに参加してみることにしたわけだ。

www.sbiartauction.co.jp

参加したのだが、普通に見てて面白い。なんだこの絵とかいうのが見る見るうちに値上がって、自分の年収何年分だ見たいな価格になっていく。普通に別世界を見てる感覚になったし、何よりさっきのNFTアートみたいな子供の落書きみたいなものがそんな値段になるものだから明らかに自分の理解を超えたことが起きてて、ここには金があふれてるということを思って現代アートを勉強しなきゃまずいのではないかという気持ちになった。

やっぱお金があるところで仕事しろとかいうし、それはそうだと思うので。

 

現代アートは基本ルールさえわかればめちゃめちゃ楽しい

というわけで現代アートについての本を読み漁っているわけだが、現代アートって難しい気がしていた。

さっきも言った通り子供の落書きが数千万・億という金額になるのだからここには何かの複雑な理解しがたいからくりがあるのではないかと思ってたわけだが、なんかそうでもないらしい。

現代アートを構成するのは大きく分けて二つの評価軸があるそうだ。

一つは美術史上での価値。現代アートを勉強すればするほど、デュシャンの泉についての言及が頻出してくるのだが、理由としてはあれが現代アートの始まりで、明確に美術史の教科書に載るものだからだ。なぜかは後述。

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マルセル・デュシャン:泉

別のたとえで言えば、デュシャンってやつは戦国時代の織田信長で、日本の歴史を勉強する際に絶対避けては通れないから教科書に載ってる的な話。

なのでそう言った教科書に載るだろこいつみたいな芸術家はやっぱ価値があるので高いって話だそうだ。まあ理解できる。

 

ではそんな織田信長的なデュシャンの残した大きな功績とは何かって話なんだけど、デュシャンまでの美術品ってめちゃくちゃ現実をリアルに写し取ったりする技術だとか、構図がすげえ見たいな、芸術家の技術がすげえと作品の価値がすげえ!!みたいな話だった。

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レンブラント・ファン・レイン:フランス・バニング・コック隊長の市警団

でも写真の発明で写実的な絵は「それ写真でいいじゃん」とかピカソみたいな超技術で殴ってくるタイプの芸術家のせいで、*1もう芸術家オワコンじゃねと暗黒時代になりかけたところにデュシャンが新しいタイプの芸術を持ってきて、これだつってみんな飛びついた。

 

それが二つ目の軸コンセプチュアルアート。現代アートってこと。

てかそもそも、美術史一応学校でみんな勉強したと思うけど、芸術家何人いたよって話なのね。

ゴッホ、ピカソ、ゴーギャン、ダヴィンチ、ミケランジェロ、とかまあ数えるくらいしか覚えてないしそんなにいなかったじゃん。人によって記憶量は違うだろうけどまあ覚えてないけど20人くらいはおったかなって感じじゃんさ。

 

でもダヴィンチとかミケランジェロって1400~500年くらいの人で今2021年だから500年間で教科書に載ってるほどの実力を持つ人間が20人はさすがに少なすぎるでしょ。ほぼいないといっても過言ではない。

 

それで、デュシャンが上記の技術偏重美術に対して何をやったのかというと、「職人的な技術を競うんじゃなくて、どういう思考で作品を作ったか?なぜそれを選んだのか?というコンセプトさえよければ必ずしも技術のあるなしってよくない?」ということを提示して美術界に激震が走ったわけなんよ。

 

それ以降美術は作品の技術を評価するのではなく、作品の思考を評価するようになっていったということで、天才的な技術がなくても発想が良ければ、思考が面白ければ評価されるようになったのが現代アートということらしいんだよな。

 

現代アートはマジで考察勢が生きる

というわけで、美術が現代アートになったわけなんですが、もちろん一つ目の美術史に残るようなことをした作家は評価されるし、二つ目のコンセプトがいい作品も評価されるようになったんだけども、二つ目って結局のところ作品から何がどう思考されていてこれがどう面白いのかとか作者の背景を読み取って考えるしかないんですよね。

 

でもそれってオタクがよくやってることじゃないかって思うんだけどどうだろ。考察勢とかアニメめちゃめちゃ深読みしてこれこうなんじゃないのとか、あれってこうだよねとかやってるよね。それと一緒で、芸術鑑賞してる人たちってこれは~のようにも見えるし、あれのようにも見えるし、作者の生まれた社会情勢がどうのこうのであれやこれやって言ってるから多分人種的にめちゃめちゃ同じでアニメ見てるか美術品見ているかの違いなんだと思うよね。

実際、アニメのクリアファイル買うのと美術品買うの似てるし、彫刻買うのなんてもろフィギュア買ってるようなもんじゃん。

なので適切な教科書あればオタクはドはまりすると思うんだよなぁ現代アートに。実際僕はドはまりしてるし。掘れば掘るほど味が出てくるし、歴史を紐解けば作者はだいたい頭のねじ緩んでるのでめちゃめちゃ面白い。

 

なのでみんな現代アート一緒に掘っていかないか??

*1:ゲルニカとか有名だけどピカソの絵はめちゃくちゃに描いてるように見えて、女を書いてる場合は女、男を書いてる場合は男とかめちゃくちゃなのに一瞬でそれが何かわかるというところで空前絶後の作家ということらしい。