東屋書店

一つのブログは一冊の本である

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自分史

私の書いた本が出ました!!!

画像生成AIで絵を作りたい人必見です~

 

どうもふしめろです。

自分史を書いたので公表しようと思います。プライベートなものは伏字で置いておきます。全く修正を加えないまま置いておきます。そのうちまとめたものを作ります。

 

本文

 小さいころにどうも薬を嫌がって風邪をこじらせて入院したらしいが、全く覚えていない。しかし、幸いにもそれから一回も入院したことがないので比較的丈夫な人間なのだろう。

 

 まあそうこうして小学生になり勉強宿題を一切やらず、学年の下の方をうろつきゲームに没頭していた。このころに本を読むことに目覚めて図書館から本を借りたり図書委員になったりかなり本とかかわるようになった。

 

 あと家の会社の手伝いがあったがかなり嫌だった。遊ぶ時間が少なくなるとの、友達と生活リズムが全く合わないからだった。今でも生活リズムは人と合ってないので友人と過ごすのは苦手である。

 保育園時だからかなりマイペースに生活していた記憶があるし、たぶんマイペースじゃないとダメなんだろう。その結果、会社と家との時間を合わせることが多かったため、アルバイトや会社勤めでストレスをためることとなった。時間が自分で管理、また家族との時間の共有ができないと非常にストレスが溜まるようだ。

 

 そうして大学生になったが、大学生になっても会社の手伝いは続いた。そして、大学の教授と馬が合わなくなったり、テスト日になったらサボるという自分でも訳の分からないことをしていたら単位が足りず留年した。あたりまえである。

 

 何故そうなったのだろう?と考えたら前述のとおり時間の問題、自分の時間軸で動いていたからだと言う仮説が立った。じゃあ小中高校は何とかやってたじゃないかと言う話も出るが、それに対してはみんなが同じだったから。と言う回答がしっくりくる。
みんなが同じ時間に来たから。僕もできた。大学はみんなばらばらだったから駄目だった。

 

 書いてて思ったが、知らない人ばかりだったというのもあるかもしれない。自分の知らない人しかいなかったから孤独感を感じたのだ。そう考えると幾つか説明がつく。

 

 今までの仕事で長く続いたのはそこにいる人と関係性が出来たからだ。

 比較的短期間でやめた、*****や****はそこにいる人と仲良くならなかった。逆に*****、*******では関係が出来たから1年2年と続いたのだ。

 

つまり、大学と言う環境に合わなかったのだ、今回ブログが続きそうなのもそこに人がいてある程度の関係性が出来たからだ。下手くそでもポーカー同好会に行くのもそこで関係性が出来たからだ。ああ、そう考えるとしっくりくる。僕はそういった関係性を必要とする人間なのだ。

 

 しかし、今関係性を捨てて*****を辞めた。ここに大きな疑問がある。

関係性は一応できていた。みんなから好かれてやっていたではないか。

 

 思うにどうも関係性が濃すぎたのかもしれない。それがストレスになり辞めてしまった。大きい関係性はストレスになり、いても居なくても構わない関係性を望んでいるのだろうか?

 

 

 そして本を書いた。やめる直前から書き始め、やめたときに書き終わった。文章で食べていこうとしているのだ。この小説をかくと言う作業は僕にとってどのような意味があるのか?

 多分これは中学校時代のやり直しだ、小説を書いてて思い出したのは書きあがった小説を担任の先生に見せて「よくわからなかった」と言われた記憶だ。その時僕は小説家になるという夢をあきらめた。
 そして本をむさぼり読んでいた。小説家になろうと思ったことはその後何度かあったが、最後まで書かずじまいだった。

 今にして思えば、見直しした記憶もない文章だ。意味不明であるのは間違いない。

「よくわからなかった。」と言われて当然だ。

 その後の書き損じもたぶん出していたら門前払いを食らっていただろう。

 

 しかし、確実にあの時の僕らは小説家になろうという夢を持っていたのだ。

 それを抑え込んでいろいろ物販やらなんやらをやっていたが、結局のところ創作したいという欲求は随所に形を変えて現れた。

 

音楽をやりたい、絵をかきたい、陶芸をやりたい。

 

 多分小説家と言う夢をあきらめた反動だろう。湧きだすものを止めることが出来なかった。蛇口を全開にしたホースに蓋をして漏れ出た方向がそちらだったのだ。それは実にならないはずだ。そこには木は植わってないのだ。そこはただの土が置かれているだけで水がかかっても何も身になるようなものは生えてこない。

 

 今回の小説をかくと言うのは水をかけるべき木を見つけたようなものだ。果樹であるこの木の実は何をつけるかわからないが、いずれこのまま水をかけ続ければ実がなるだろう。
 しかし、それでは実がなるだけだ。肥料をやり、未熟な実に袋をかぶせ、鳥や虫から守り、台風が来たら気を揉み、そして収穫して丁寧に梱包して出荷し、適切なルートで消費者の元にとどけなければただの道端に植わっている柿と一緒だ。

 

 必要であれば適切な場所に移動させたり、ビニールハウスで栽培する必要もある。そして種から新しい木をはやす作業まで必要だ。これが僕の小説が対価をもらえることになる原因である。

 

まとめ

近いうちに皆様に見ていただけるように、まとめあげることをタスクに入れなければなりません。

最後の件はいろいろ思いがありこのようなものになりました。小説で食っていく。ひいては文章で食べていくということです。それについては別の記事で自分史と一緒に作ったミッションステートメントの記事を書きましょう。