どうもふしめろです。
ブログに人を集めるには人のことを考えて記事を書けば自然と集まってくる! そういう方法論がかなり多いですね。それはそれで素晴らしい志ですし、一つの指針として有用なのですが、今回は
人のこと考えて記事を書いているのにちっともアクセスが集まらない
そういう状況で自己嫌悪に陥っている人に向けてつらつらと雑記雑記していこうと思います。
ブログってそもそも自己満足のために書く物ですよね
そもそも、ブログって何でしょうか? 自分のために書く物ですよね。自分の楽しみのために書く物ですよね。
まずそこから出発したはずの方は多いと思われるのですが、ことお金の話しを絡めだすと、とたんに窮屈になってきてしまします。何ででしょ?
まあ、それは単純に内発的動機から外発的動機に切り替わったためで。つまり、自分がこう言った記事を書きたい! 日常で起こった面白い事、役に立ったことを書きたい! という自分の中から湧き出てくる内発的な物から、ブログで記事を書けばお金が貰える! だから記事を書こう! 良い記事を書こう! という外からの要求に答える形、つまり外発的な物にすり替わったからです。
この外発的なものは、お金に限らず物を貰えるからだとか、名誉が貰えるからだとか。そういった外から与えられる物全てに当てはまります。
なので、こうした外からの要求に応えるためにある一定の水準、基準を越える記事ネタないと書けなく、書きたくなくなってしまいます。だって、それ以下の記事ネタは書いても一銭にも成らないんですもの。やる意味が無い。
コレは仕事でも何でも同じですね。
人のことを考えて書けないという自己嫌悪
まあ、そうやって外からの要求に応えられる記事ネタを探すわけですけれども、体よく何十個も見つけることが出来て、定期的に書き続けることが出来たとしましょう。
例えば旅行とかリゾート地ならどこ行ってもある程度の記事ネタは貯めることが出来ますからね。ゲームでもそうですけどまあ何でも良いです。
そうしたときに、まあやっぱり同じこと書いてもアクセスを稼げる人、稼げない人が出てくるわけです。コレはもう個々人の努力や技術力や情熱やら諸々がかみ合って起こるしょうが無い自然の摂理みたいなところがあるのでなんとも言いませんが、そういったときに出てくる言葉が、
人のことを考えて記事を書けば良い。
読む人のことを考えて記事を書こう。
という文言ですね。コレは非常に立派だし、それ自体は否定されるべきではありません。こう言う事を念頭に置いて記事を書こうという心構えです。
でも、この文章を読んで「自分は人のことを考えて書いていないから、自分はアクセスを全然稼げないんだ!」と思うのはどうなんでしょう? 自己否定しすぎじゃ無いですか?
書いているときのことを思いだしてください。記事ネタを厳選するときに、この話はみんなも興味あるのでは無いか? この話は有用なのでは無いか? と思って書いてますよね? そうで無くとも、ワードサラダみたいな支離滅裂な文章では無く、人に見せられるような文章を書こうと思ってますよね。*1
じゃあ普通にあなた人のこと考えて書いてるじゃ無いですか。そんな落ち込むことは無い、というかこの「人のために考えて書くこと」で「得られる結果」って何なんでしょうか? アクセスですよね。
あなたアクセスのためにブログ書いているなら、まず方法を考え直した方が良いです。アクセスが目的なら広告費払えば、それこそ払った分だけアクセスが貰えます。そっちの方がよっぽど目的が達成出来ますよ。
もんにょりしてきましたか?
じゃあアクセスから導き出されるお金ですか? 収益ですか? それこそ、普通にどこかで働いた方が20万前後までは何倍も効率は良いですよ。それ以上なら、何か有用なサービスを考えて経営していった方がよっぽど稼げる。
まあこの辺は前回の記事に行っちゃうのでやめておきますが。あなたの目的が今の二つなら目的を達成するためにブログを選ぶ理由って皆無なんですよ。よっぽどアフィリエイターに成ろうと決意した方が効率が良い。
ブログで得られる結果を考える
じゃあ、その辺を全て差し引いてブログで得られる結果って何でしょうか? 多分何もありません。自分のブログを見てくれる人と言う、守護霊的な存在をチラチラ確認出来るくらいです。そして、守護霊がたまに
「この記事面白いんですけどー」
「ギャハハハ!!☆ミヾ(∇≦*2≧∇)ノ彡☆バンバン!!」
とかコメントとかシェアとかして、「守護霊かわいすぎるんだけど何コレ」とか言う癒やしを貰う程度です。
でもそれだけでいいと思いませんか。ブログに広告設置しても何しても良いですけど、結局のところブログを書くのは自己満足で、ブログを書くことで自己満足が出来ないならやめたほうが健康的に生きることが出来ます。
人のことを考えて書くということを意識する前に、まずそこの、自分が満たされているかどうかを考えた方が良いかとそう思います。