最近思うのだけれども、人生という奴はだいたい挑戦なのでは無いだろうか?
まあ挑戦と言ってもそこまで大げさに考えずに、昨日できなかったことを今日やる。みたいな小さな事で全然かまわない。
例えばこうやってブログを始める、だったり記事を書く、だったり仕事で売り上げ上げる! みたいなものでも全然かまわない。そういう物を挑戦としてとらえてみよう。
そうすると、だいたい人生って挑戦なんだなと言うことが分かってくる。逆に挑戦するのが人生なんだなとかそういった感慨も生まれてきたりしてしまう。
しかし、挑戦はいいのだがじゃあその結果っていつ帰ってくるのだろうか? そもそも結果などと言う物が帰ってくるのだろうか?
結果が出るのは格闘ゲームに近い
悲しいことを言うようだが、個人的認識としてはたいした結果はほとんど帰ってこない言ってもいいかもしれない。
なぜなんだろうか?
たぶん、挑戦という物は格闘ゲームのような積み重ね型の行動なんだと思う。
パンチを出す、キックを出す。コマンドを入力する。相手の動きを読んでガードして、それにカウンターを重ねる。こういった基本、応用、創造的応用を重ねて相手のゲージを減らしていくのが人生の挑戦なんだろう。
これらの個々の挑戦はそれぞれきちんとした結果が帰ってくる。パンチして当たればゲージが減るという結果が出るし、コマンド入力の必殺技を出せばググーンとゲージは減っていく。しかし、ゲージをわずかばかり減らした程度ではラウンドは終わらない。勝利という結果を掴むにはゲージを0まで減らさなければならないのだ。
が、ご存じの通り格闘ゲームは基本3ラウンド制の2ラウンド先取だ。1回倒しただけでは終わらない。3回戦中2回勝たなければならない。
1度勝ったからと言って油断など出来ない。
リアルは違う
ここで、リアル格闘技は違うぞ。と言う声が聞こえてくる。
確かにそうだ。ボクシングなどを見れば分かるとおり、体力ゲージなどどこにも設定されていない。ではどうやって勝敗を決するのか?
よく知られるのはKO、ノックアウトだ。片方の選手がリングに沈み、起き上がることが出来なければ試合終了だ。そしてTKO、テクニカルノックアウトだ。片方の選手が明らかに試合続行不可能であると判断された時に下される。そして判定、ラウンドごとに採点が行われてより多くの点を取った方が勝ちとなる。
ここで注目してほしいのは、上記すべての勝敗決定は小さな挑戦の積み重ねの上で得られる結果であると言うことだ。
KOにしてもガードを崩したり、癖を読んだり相手の隙をうかがい得られる結果であるし、TKOにしても攻撃の蓄積によって相手選手の行動不能を引き起こしているし、判定は言わずもがなである。
例えリアル格闘技は違うと言っても、結局は挑戦なのである。
自分の現状に適応してみる
格闘技の話はもう分かった。と言うことにしよう。
自分の身の回りの話に置き換えてみようではないか。
そうすると、どうだろうか? 仕事というのはだいたい挑戦だし、勉強も出来なかったことを出来るようにすると言う意味でだいたい挑戦だ。そして旅行に行くというのも知らなかったことを見ると言う意味で挑戦である。
こうして挑戦の定義をズブズブにするのも1つの挑戦なのかもしれないが、それはまた今度の話としよう。
そうして考えると、結果はいつ帰ってくるのだろうか? ゲームのようにルールが決まっているわけでもなし、リアル格闘技のようにラウンドがあるわけでもない。
ある挑戦をした後、10年以上もかかって結果が帰ってくると言うことはザラだ。学者の世界では死後に評価されたと言う話はポンポン出てくる。
しかも面白い事に、その評価のされ方も本来研究していた分野から全く別の所から来たりとバリエーションに富んでいる。
ロボット三原則も元はSF小説のネタだったのに、今ではロボット工学の指針として適用されるくらい別の所から評価されたりする。
と言うことは、今やっている挑戦も別の所から結果を出される可能性は大いにあるだろう。
また、複数の挑戦をまとめて結果を返される事もある。
数学の世界がわかりやすいのだが、複数の数学者が作り出した理論を誰かが組み合わせて新たな理論を作ると言ったことがままある。
こういった結果の返され方をするともう訳が分からなくなってくる。どの挑戦が結果を生んだのかと言うことは一概に言うことは出来ない。どれもが密接に連携し合い、すべてが無くてはならない存在なのだ。
まとめ
以上をひっくるめて言えることは、下記の3つだ。
- 挑戦してもいつ結果が帰ってくるか分からない
- 想定していた所では無く思いも寄らないところから結果を返されることがある
- 複数の挑戦をまとめて結果が帰ってくることがある
なので、結果を出すために取るべき行動としては、
結果がいつ帰ってくるかが分からないにしても、複数の挑戦をすればそのうちのどれかは近いうちにヒットするだろう。また、想定していた方面に対する挑戦が評価されず、別方面から評価されることがあるのであれば、出来るだけ多方面に挑戦を披露すればヒットする確率は高い。逆にある特定方面に向けて挑戦しないといった策も取れるようになる。
よって、
多くの挑戦をし多方面にその挑戦を伝える。
と言うことが言えるのでは無いだろうか?
最後に
多くの挑戦といった文に下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるを思い浮かべて、とにかく挑戦だ! と思った人は少し待ってほしい。
あなたの手には確かに鉄砲があるが、それは先込め式の鉄砲である。
しっかりと火薬を入れて、弾丸を銃身に入れ、撃鉄を起こし引き金を引く。
この一連の動作を素早く正確に行わないといけないのだ。
断じてマシンガンのような薬莢とマガジンがある銃を思い浮かべてはいけない。
もしくはそれは弓だ。
弓に矢をつがえ、静かに引いて狙いを定め矢を放つ。
そういった精密動作だ。
何が言いたいのか?
決して質の悪い挑戦をしてはいけないと言うことである。
銃であれば火薬を入れずに引き金を引いている状態だし、弓であれば手で矢を投げているような状態だ。
いくらやっても撃ててないのだ。下手以前の問題である。
ここで言う下手というのは狙いを定められない事を指すのであり、弾を撃てない人間の事を指すのでは無い。
そもそも、それは挑戦なのか? そして、弾はちゃんと発射されるのか?
その確認を怠った人間が行き着くのは戦場での死に等しい出来事なのかもしれない。