どうもふしめろです。
人生についてよく考えます。
原因は言わずもがなな正社員退職と言う大きな節目を目の当たりにしていることもありますし、現在祖母が老衰で生死の境をさまよっていると言うことも影響しているでしょう。
僕は前述の2つの事柄を受け止めるべく、事柄とは?と考えを進めていきました。
- 事柄とは何なのか?
- 事柄には影響力があるのか?
- 事柄はどう取り扱ったらいいのか?
いまだ考え途中ですが、書きながらまとまることもままある話なのでこのまま書き進めようと思います。
事柄とは何なのか?
事柄とは何なのでしょうか?
デジタル大辞泉の解説
こと‐がら【事柄】1 物事の内容・ようす。また、物事そのもの。「調べた事柄を発表する」「新企画に関する極秘の事柄」「重大な事柄」
2 《「こつがら(骨柄)」の音変化という》人物のありさま。体格。品格。
「つらだましひ、―、いづれも劣らず」〈平家・九〉
当たり前のようにGoogle先生に聞きまして、言葉の定義を済ませます。
さて、この字面から察するに事柄、物事と言ったものはどうやら自分の内面で起こる事ではなく、自分の外側で起こる事の総称のようです。
そう考えると自分の外側で起こる事はほぼコントロールできないと考えて差し支えないでしょう。自分がコントロールできるのは、自分の考えと行動のみです。
であるならば、事柄、物事は自分の目の前に現れては過ぎ去り、現れては過ぎ去りを繰り返す道路わきの標識のような存在であるといえますし、その標識によってアクセルを操作したりハンドルを操作するのは自分次第と言う点がよく似ています。
なるほど、事柄とは道路わきの標識と言えそうです。
では実際に人生の標識に遭遇したときに僕はどういう対応をすればいいのでしょうか?
事柄には影響力があるのか?
標識にはたくさんの種類があります。しかもそれぞれの標識にはきちんと内容があります。
その内容を正しく読み取り運転をするのがドライバーの責任なのですが、車を運転したことがある人ならわかると思いますし、深くは言及しませんが実際の走行状況では一部の標識はあってないようなものであるということも知っているはずです。
であるならば標識はどれほどの影響力を持つのでしょうか?
これは事柄、物事にも言えることです。上記の仕事を辞めると言う事柄、人が死ぬという事柄に代表されますが、そういった事柄も人生の標識として現れては通り過ぎてしまいます。その意味を読み取り、車を操作するのが自分のできる最大限の行動です。
ただ実際の標識と人生の標識との最大の違いは、人生の標識に多くの時間と注意を向けてしまう人が多々いるということです。電柱にぶつかって車が損傷してしまいJAFや警察を呼ばなければいけないのに標識を見続ける人もいるでしょう。
しかし、実際の走行状況では一部の標識はあってないようなものという現状を適用すると状況は一変します。
もしも、後ろから車が突っ込んでくるようであれば急いで車を脇に寄せなければいけませんし、土砂崩れが襲って来ているのであれば制限速度なんか関係ありません。
極論ばかり上げましたが、何が言いたいのかと言うと人生の標識に内容はあっても影響力はないと提言しているのです。
標識が目に入ってもそれに意味をつけて行動するのは自分以外に存在はしません。
そう考えると事柄に影響を受けるか受けないかを決めるのは自分自身と言う話になります。
うわぁ・・・アドラーも似たようなことを言っていたぞ。
事柄はどう取り扱ったらいいのか?
今回書きながら考えた結果、
この世界では様々な事柄が現れ、目の前を過ぎ去っていき、それはだれにも止められないかつ誰にもコントロールすることはできない。
また結果としてその事柄が目の前に現れただけで、事柄自体に影響力など何もない。
すべては自分が決定し行動している。
と言うことが分かりました。
そうであるなら、僕は事柄、物事をどう扱ったらいいのでしょうか?
僕は物事を本当の意味で標識としてとらえることが最善だと考えます。
標識をずっと見ていたら事故を起こします。ですが見ないと快適な運転はできません。
適度に標識を見て、目の前の道路状況に集中する。これしかない。
要約すると今を一生懸命生きる。
そういう話になりました。何度も言っていることですがよほど心に残っているんだと思います。