よく、
「僕はお金でこれをやっているんじゃない。みんなに笑顔を届けているんだ。」
と言う話を耳にします。
へーそうなんだ。立派な人だ!と僕は常々思っていたのですが、最近どうも腑に落ちなくなってきているのです。
それも年を重ねるほどに。
お金は何に使うもの?
お金を何に使うものなのでしょうか?
僕は生活のため、生きていくのに必要なものだと今まで思っていました。
これは一見真理のように思えます。
しかし、去年の僕の記事を見てみるとやれDAOKOがやばいだのサンホラがどうのだのPerfumeがズルすぎるとやたらめったら書いているのを確認できます。最近だと家入レオ鉱脈を発見したとか言ってCDを衝動買いしていたりするのですが、これって前述のように生きていくのに必要なものなのでしょうか?
生きていくのに必要なお金という考えであればであればこういうのに使うわけないですよね。だってCDは食べられないし映画館は住むことはできないし、残念ながらDAOKOは僕の彼女ではないので彼女のCDを買いまくってもバレンタインデーにチョコレートは送ってきません。
であればお金は生活必需品を買うためだけにあるわけではないようです。
上記の事例のようにもっと別の何かと交換するためにあるのでは無いでしょうか?
気持ちに対してお金を払う
上記の事例を深く掘り下げると、その別の何かを見つけることができるかもしれません。当時の気持ちを思い返してみましょう。
DAOKO、サンホラ、Perfume、家入レオで共通しているのは当時僕は非常にワクワクしてお金を払っていたということです。
なぜなら僕は音楽が生活の一部と化しているので音楽に対して非常にポジティブな見方を持っているからです。
俺だって音楽が生活の一部だって高らかに叫びたい - 東屋書店
と言うことであれば僕は各アーティストの音楽を通してポジティブを得るためにお金を払ったということが言えます。
つまり僕は僕の気持ちにポジティブな影響を与えるものに対してお金を払ったのです。
気持ちに影響を与えお金をもらう
先ほどの言葉を逆に言うと、人に影響を与えればお金をもらえるはずです。
と言うことはお金を積極的に求める人は、人に影響を与えてお金をもらうという軸に立たなければいけませんし、さらに踏み込むとそういう軸に立っていればお金を求めただけお金が入ってきます。
お笑い芸人さんやiPhoneを見てもらえればわかる通り、彼らは人に笑いや美しいデザインなどポジティブな影響を与えています。これは一例ですが、探せば何かしらかのポジティブな感情を与える大小さまざまなシステムがすべてのものには組み込んであるはずです。
だから生活必需品でなくても人はものにお金を使うし、使った後に満たされた気持ちになるのです。
もちろんポジティブに限らずネガティブな影響を与えるものもお金を得ることができます。美しきは多様性社会とでも言いましょうか?
「お金じゃない」行為は何なのか?
では冒頭の疑問に戻りましょう。
「僕はお金でこれをやっているんじゃない。みんなに笑顔を届けているんだ。」
でしたね。
ここまでの話でお金を求めるということは人に影響を及ぼすために得られるものだ。という仮説を立てました。
この仮説に乗っ取るのであればこの文章は成り立たないと言うことが分かります。
自分はお金を求めないということは人に影響を及ぼさないと同じ意味であり、皆に笑顔を届けることはできません。
なのでこの文章が非常に空虚に聞こえてしまうのはそのせいでしょう。
皆に笑顔を届けその対価をきちんともらう。
これがあるべき姿で、誠実な関係と言えます。
まとめ
実際のところ、「お金じゃない」というのは自信の無さから出てくるのではないでしょうか?
成就回避型の自己防衛と言う意味です。
確かに僕自身お金を求めるのはなんだかなーと思うことがあります。そう思うときはいつでも「この程度でお金もらっていいんかいな?」という気持ちが付きまとっています。
ですが、これは自分に対して不誠実な考え方と言ってもいいでしょう。
自分の行いに価値がないと自分で言っているようなものだからです。
自分に価値があると思っているのであれば、その行いに対して適正な報酬をもらうのが正しいあり方です。
僕はそう信じます。