どうもふしめろです。
買う予定ではあるものの、まだ買ってない本を本屋さんで立ち読みしました。
これを買う予定です。本屋さんに置かれていたのは当たり前ですが、単行本のものです。内容は村上春樹氏が投稿された質問に答える問答集みたいなやつです。
そうして手に取りパラパラ呼んでいたら、表題のような質問が書かれていました。内容はうろ覚えなので、あれなんですが確か、
身内から小説なんか生産性低いやつ読むより実用書読めよ。みたいなこと言われたんだが?
と言ったような質問でした。
まあここでは村上春樹氏の回答は書きません。うろ覚えってのもありますが、それが本書の実なのでうろ覚えで書くのはどうかな?と。
ただこの質問が心に残ったので僕なりの考えを言っておこうかなと。
小説<実用書?
もう質問文もうろ覚えなところがあるので、小説より実用書読む方が価値あるだろ。と言う話に変換。
そうしたときに思うことって、実用書ってそんな大事か?と言うことなのです。
いや、大事ですよ。ちゃんと価値あります。プログラミングの本やそういう技術書は大事だし、経営学の本とか大事です。ハーバード・ビジネス・レビューは僕の大好きな本の一つです。
ただ、小説よりも価値があるというのが僕としてはどうも納得いきません。
だって、その考え方って同じジャンルの中に優劣が存在するってことではないですか?
上手い下手の優劣ならまだわかるんですよ。でも存在単位で見れば優劣は存在しないはずです。
例えば僕は毎朝リンゴを食べるのでリンゴの話をしますけれども、サンフジとジョナゴールドは同じリンゴの品種ですが、味が全く違います。食感も違います。
ではそのリンゴの品種に優劣があるのでしょうか?
例えば車がありますが、クラウンとプリウスは違う車種で乗り心地も車格も違いますがそれらに存在単位で優劣はあるんでしょうか?
じゃあ本には?小説と実用書で優劣はあるんでしょうか?
僕はないと思います。本としてそこに並んでいる時点で優劣はありません。読了後に何を得られるかの機能の違いでしかありません。
なので存在単位で見ると、小説と実用書は本と言う単位で同列だと言いうことが分かります。
じゃあ質問で言う読む価値とは何から発生しているのでしょうか?
読む価値は個人の価値観から
僕はこれに個人の価値観が強く介在していると思います。
どういう事か?先ほど
読了後に何を得られるかの機能の違いでしかありません。
と僕は言いましたが、実用書と小説の機能とはなんなのか?が気になるところです。
その機能差とは実用書が読了後に技術を得るのに対し、小説は感動を得る差だと思います。
この場合の感動は、ポジティブな意味ではなく心が揺れ動くと言った意味で使います。なので、とりあえずネガポジでも心が動くと言った意味です。悪しからず。
デジタル大辞泉の解説
かん‐どう【感動】[名](スル)ある物事に深い感銘を受けて強く心を動かされること。「深い感動を覚える」「名曲に感動する」
なので、価値観が技術寄りの人は実用書を読みことによって心が満たされますし、価値観が感動寄りの人は小説を読んで心がみたされるのです。
そう考えると、感動寄りの人が実用書ばかり読む人に向かって心の成長が云々と言っても意味が通ります。
要は人それぞれ価値観の問題なのです。
まとめ
そうして、結局人それぞれに価値観があるという結論に達しました。
僕はブログ記事は書きながら考えているので、この結論に達してよかったです。
小説を大量に読む人種ですので、よもすれば小説万歳記事になるところでした。危ない危ない。
ただ、そう考えるとあの質問は価値観の押し付け問題に発展しそうです。
価値観の押し付けはあまりよくありません。相手の価値観を尊重してないと同義になりそうだからです。
お互い尊重していきましょう。
なんか無難すぎじゃないのこれ?