東屋書店

一つのブログは一冊の本である

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結局自分の受け入れ先がないと死んじゃうよなぁ

Twitchでゲーム配信しています

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どうもふしめろです。

最近は気持ちよくブログがかけて嬉しいです。

あと、Twitchを始めたのでそれの配信中にこのブログを見るとゲーム音とか僕の声が垂れ流しらしいのでその点はどうかご容赦ください。

 

一歩手前ってないの?

さて、この見出しとタイトル。ふむ、どうなんでしょう?

過労とかいじめとか色々あるのに、その場から離れられないのは何でなんでしょうか? 「そんな物ひとそれぞれ事情があるんだ!」「やめたくてもやめさせてくれないんだ」「過労になると視野が狭まってほかのことが考えられ無くなるんだ!」「ふとしたときに自殺してしまうんだ*1」という様々な事情は重々承知なので、その辺は置いておいてなぜそうなるのか? ということをふと考えてしまいました。

 

僕が前職をやめたときは、「このままじゃ僕は死んでしまう」と退職一年前くらいから思ってずっと働いていました。「会社に行きたくねえなぁ、でも収入無くなるしなぁ、どうしようかなぁ」とずっと考えて、繁忙期が終わったときに退職届をだしてやめました。貯金も何もなしで次も決まらずノープラン*2でです。

 

なので、何故自分はやめられたのか? 何故やめられない人がいるのか? という事を考えることは少なからず今後の自分の人生にとって有意義な事なのではないでしょうか?

 

やめても受け入れてくれる場所がない

最初に上げるには卑怯すぎるくらい真理だと自分では思うのですが、その人達が仕事をやめても受け入れてくれる場所がどこにもないというのが問題なのではないでしょうか?

 

僕の場合は幸いにも実家に住んでいましたし、僕の現状を親が理解してくれていたので仕事をやめても受け入れてくれる場所がありました。

 

でも、やめられない人というのはこの受け入れてくれる場所がこの世界のどこにもないのではないでしょうか?

 

悲しいかな毒親(親がゴミクズ人間という意味)が居る人は少なくないようです。僕のTwitterのタイムライン上にはそういった親を大切にしろという言説に対して「自分の親は尊敬に値しない」と言うような話をしています。

事実はどうであれ、人間は十人十色ですからそういった状況も存在するという前提に置いて、せっかくあの親から離れて絶縁した生活を送れているのに、この仕事をやめてしまったら、収入もなく貯金もなく、もうどうしようもない! こういう場合は頼るところはないですよね。

友人も受け入れ先とは成らない

また、友人に頼れば良いというのも考え物です。基本的に自分以外の人間は利害関係が無い限り適当な事を言います。*3

「もうちょっと頑張ってみたら?」

「石の上にも3年ってやつじゃね?」

「それ単純にお前が悪いやつじゃん」

的が外れているとはこのようなことを言うのでしょうか? また、人によっては説教してくることもあります。でも、

「自分は今苦しくて、もうちょっと頑張った上であなたに話しているんだし、コレがあと数年も続くなど考えられない。私が悪いかと言えば確かにその通りかも知れない。ただ、もう限界なんだ」

と心情を言ったところで、「せっかくアドバイスしてやったのに、あいつはめんどくさい奴だ」と距離を置かれることは明白でしょう。頼るなんて論外です。

 

人のために働いている

では、上の頼るところがある人でも過労になってしまうのは何故なんでしょうか? ニュースで報道されたときに、「実家の人は優しそうなのになぜだ?(本当に優しいかどうかはさておき)」と思うことはたまにあります。

僕が思うにそういう人は、人のために働いているからではないかと思うのです。

 

地方から出てきて有名大学に入り、大手企業に就職しました。と言うのが典型的ではあるのですが、地元の期待を裏切れない。大学に行かせてくれた親の期待を裏切れない等と言った期待のなかで、「自分の仕事が辛く苦しいものでも甘えではないか?」となかなかやめられない事があると思います。

 

後は仕事仲間との関係性のなかで、「みんな頑張っているから自分も頑張らなくては」「自分が休むと仕事が滞る、それでなくともみんなに迷惑がかかる」と言う、仕事仲間のために仕事をするという状況では、どんなに自分が辛くても仕事をやめることは出来ませんね。

 

仕事をやめたら本気で人生が積むと考えている

この見出しって、まさかと思うけど実際にかなりの人数でいると思うんですよ。僕もそうでしたし。仕事をやめたらお先真っ暗だと思う人がいると思う。仕事をやめたらこれからどうしていいか分からないってね。

今にして思えばあの時の自分にはこの一言言ってあげたい。

 

ゲームじゃないんだから仕事を辞めるだけで人生が積んだり終わるわけがない。

 

一応ですけど、そりゃヤミ金や覚醒剤なんかに手を出してたら人生積みかけますよ? でも仕事やめるだけで人生積むわけがないんです。上記みたいに頼るところがどこにもなくてもそういう人のために生活保護があるわけですし、雇用保険がかかってたら失業手当だって付いてきます。

まあ、どんなに苦しくても積ませてくれないと言うのが正しいのかも知れませんが。

 

やっぱり受け入れ先がこの世にないというのが大きい気がする

ただ、いろいろ理屈をこねても結局最初に上げた、自分の受け入れ先がこの世にないと言うのが最終的な問題だとは思います。2番目の人のために働いている。というのも結局、実家・地元という受け入れ先候補に行けば、後ろ指を指されてしまう、叩かれてしまうという事ですからね。

期待で帰れなかったり、親から逃げてきたと言う人で、一人暮らしをしているのであれば、事実上の天涯孤独と言っても良いでしょう。親がいても緊急時に頼れないのであれば、無いも同然ですから。

 

もし、自分の現状を振り返って受け入れ先がどこにもないと感じたら、行政が用意している受け入れシステムについて調べて、テーブルの上とか目立つところに印刷して置いておく事をオススメします。本当の緊急時にはそんな事調べることは出来ませんし、いざというときに頼る場所があるんだと常日頃から意識しておくと、結構気が楽になりますよ。

 

 

と言うか町中サバイバルという本があれば需要有りそうですね。

*1:これはTwitterでRTされてきた証言です。どうも過労だと死ねば会社に行かなくて良いという考えが素晴らしい物に思えてしまうそうです。

*2:ノープランは言い過ぎかも知れませんブログとか小説書いてましたから。また小説かかないといけませんね。

*3:利害関係も無いのに良いことを言ってくれる人は珍しく、そういう人はブロガーに多いですね。みんな大好きです。