どうもふしメロンです。
この本昨日読み終わったよ。
やったね!
さてこの本を読んだきっかけはまたもやミニマリストさんたちが絶賛していたから。
うん買うよね。ものすごい勢いで絶賛してて内容も面白そうだったから買うよね。
そして手元に来てヴァーと呼んで一瞬で読了!
「これは大人の絵本だ!」
最初僕これ幼児向けの絵本だと思ったんだよね。子供に読ませたい絵本って感じのためになる本だって。
全然違った。
まともに社会人しているすべての大人に向けて
描かれた絵本
メインターゲット層としては新入社員と経営者。
なぜそう思ったかというと、組織の中での集団の特性を細かく描写し、そこで苦悩する主人公というおおよそ幼児世界では無縁のアウトラインがあって、幼児がまず理解できるのか疑問に思ったからだ。そして読み進めていくにつれ大人社会を比喩表現していることにも気が付いた。用語で出てくる「組織の海」っていわゆる一般社会だし、その中の国っていわゆる会社だ。もっと言うと「組織の海」は社内環境のことでもあるし、国っていうのはいわゆる部署や派閥のことでもあるんだろうなって。
その中で苦悩する主人公ジャックはそのまま読者であり従業員なわけで、「学習の国」に住んでいた優秀なジャックは今の環境でも十分な業績を上げていたのだが、裕福で優秀な「ペンギンの国」からスカウトがかかり、「ペンギンの国」に移り住んだのだ。
ところで「ペンギンの国」はみんなが同じ服を着てみんなが同じ行動をすることに重きを置く平均主義社会だ。「ペンギンの国」のトップはペンギンがペンギンスーツを着て、代々続く由緒ある社会通念やしきたりに雁字搦めにされた硬直した社会だ。これはペンギン社会を揺るぎないものにするための保険の役割をしている。
たぶんここまで読んだ一部の人はこう思ったと思う。
「あ、日本のことだ!」
「そうなんだよねー日本はねー!」
まあ言いたいことはわかる。悪いところはよく目につくからね。
でもなんで主人公のジャックはその日本的ともいえる「ペンギンの国」に行こうと思ったの?この読者と従業員であるジャックはアホなの?
なわけないよね、だって読者であり従業員である主人公は「ペンギンの国」に何かしらかの希望をもって行ったわけだ。
そう!これまでその体制で築き上げた数々の成功と発展とそこから導き出された現在の超裕福な現状を話に聞いて実際に見て!長年保ってきた通念やしきたりから生み出された気品のある上品な立ち振る舞い!
それらすべてを見てジャックは「ペンギンの国」に行こうと決断したのだ。
ではなぜジャックは最終的にこの国から
出ていく決断をしたのだろうか?
「ペンギンの国」は決して諸悪の根源ではないし、地獄の環境ではない。この国は今の今まで成功し続け繁栄を享受していて、これからも繁栄を享受していく「可能性」のある国だ。
そうするとまた一つの疑問が浮かび上がってくる。最初にジャックが飛び出した故郷の「学習の国」はどういう場所だったのだろうか?という疑問だ。ジャックにとって「学習の国」というのは居心地が悪かったのだろうか?文中ではジャックは学習の国では非常に優秀であったと書かれている。
そんな学習の国はこういう国だ
「学習の国」
星の数ほどさまざまな鳥たちがいた。
<学習の国>は、ごみごみしてにぎやかで、
活気に満ち、
みんなが競い合って、
わいわいやってた。
必然的に
みんな懸命に仕事をし、
どんどん知識を吸収し、
機転と創造力を駆使して、
生きぬいていかなければならなかった、
そうしなければ出世できないのだ。
やりがいはあるけれど、
たいへんな
世界だ!
<学習の国>のモットーは、以下のとおり。
豊かな発想をしよう。
ためしてみて、
結果を出せ。
とにかく、行動だ!
僕は思った。この国は
「学習の国」じゃなくて「努力の国」なんじゃねえのか?
と。
そう考えるとジャックは「学習の国」ですさまじい努力をしていたに違いない。
モットーを見る限りとにかく上に上に上り続けるそのたゆまぬ努力から生み出された、
どんなものの考え方をして、
社会にどんな貢献ができるかなのだ。
社会に対する結果が最重要視される国それがこの「学習の国」らしい。
その中で成果を出し続けるということは
会社に例えると
イケイケどんどんのベンチャー企業
のような感じだろう。
ということはジャックは従業員に例えるとこうだ。
ベンチャー企業に務めていた優秀なジャックは大量の成果を出していた。
あるとき超有名な大手大企業からヘッドハンティングされる。
ジャックはその大企業の業績はよく知っていたので自分にとっていい職場だと考え
ベンチャーを辞めて大企業に入った。
しかしそこはルールで固まった社内環境で、ベンチャー育ちののジャックはストレスを感じ始める。
なるほど、我ながらわかりやすくまとまった感がある。
ではこのベンチャーと大企業を模した二つの国に対してなじめなかったジャックがたどり着く最後の国「チャンスの国」とは何だろうか?
文中では
<チャンスの国>とは、心の状態なのだ。
------それはすなわち、
ものを受けとめる心のあり方だ。
新しいアイディアに対するオープンさであり、
聞く耳をもつこと、
学習意欲をもつこと、
成長を望むこと、
そして、
柔軟性をもって変化に対応することなのだ。
<チャンスの国>とは、
おたがいのつきあい方を見直すことだ。上っ面を見ただけで
どんなやつだか決めつけることはやめよう。
相手がだれであれ、
ほかにはない独特の素質や
能力があるからこそ、
かけがえがないメンバーだと考えるようにしよう。
そう考えるところに<チャンスの国>が出現する。
「チャンスの国」は多様性を重んじメンバー全員を大切にする国だと。場所ではなく心の状態であると。
もしかしてこの国はいわば
「精神の海」に浮かぶ国ではないのか?
文中で存在するではなく、出現すると書かれていた。つまりそれはチャンスの国はまだ一般的なものではなく非常に少数派であるということだと思う。
だって例浮かばなかったんだもん
なればこそ、この国は自ら生み出すか探しに行かなければならない国であり。
「悟りの国」とも言えるかもしれない。
鳥達は自らを全肯定し自らに自身を持って歌うと描かれていた。そして彼らはそんなメンバーを尊重し、尊敬し、褒め称えた。彼らは心の自由を謳歌しているように描かれている。
僕はこれを心底羨ましいと思う、そして今の職場を考えるといろいろ有ったけどチャンスの国に近づいてきている環境だとも思う。あれ?俺恵まれてね?転職しようと半年以上もがいてきたけど実はここチャンスの国だったじゃん!みたいな。何この幸せの青い鳥みたいな話。
でも多分そうなったのははてなブログ開設してブログをポジティブに書くように心がけて1ヶ月たったからかも知れない。
にゃんすさんがブログの方で「チャンスの国」ってはてなブログのことじゃん!ッて言ってるけどたしかにそうだなとは思う。ここって見ず知らずの人と精神的に繋がれて、心のすべてを吐き出す環境だからそれをはてなスターで肯定してあげられる場所だからかもしれない。
- 作者: BJ ギャラガー,ウォレン・H.シュミット,BJ Gallagher,Warren H. Schmidt,田中一江
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2002/03
- メディア: 単行本
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