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DAOKOについて思うことと僕

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どうもふしメロンです。

さて、2記事にわたってDAOKOスペシャルライブの感想を書いたわけです。

いや待機中も含めると3記事か

 

gazebo.hateblo.jp

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DAOKOについて思うことというタイトルですが、DAOKO絡めて僕の人生云々言うだけのよっぽど気持ち悪い内部吐露なのであれだったら早めに閉じたほうがいいです。

 

前々から自分の軸がないということを親から言われ続けて、最近はお前は軸を他人にしている!ようは他者のせいにして活きているということを怒られ続けているのです。

怒られづつけてもそう簡単に変わるわけないので何とも・・・といった感じであれですが、そんな僕が今回DAOKOと言う軸を手に入れてしまった。と言うのが本題です。

 

DAOKOはあの若さで曲作っていろんな人とコラボしてと言うことをやっているのでかなりすごい人物であることは僕にとって疑いようがない事実でありますが、翻って24まで生きてきた、彼女より小学校一回り先に生まれてきた僕は何をしでかしてきたかと言うと、なにもしでかしてきていません。まったくもっていい子ちゃんで生きてきて特に荒波も立てずなんとかかんとかおっかなびっくり世の中わたってきました。

 

そうして今の何もない僕がいると思うと結構な後悔があります。

認めたくないけど認めなけれればならない。

僕は現状人生を後悔している。

 

なぜなら何も成し遂げてない人生だからだ。途中であきらめてばっかりの人生だからだ後悔するしかないだろう。今死んだら確実に悔いが残るだろう。

 

そんな僕が俺がDAOKOに惚れてしまったことで、ひどいことになった。

俺がDAOKOのファンでいていいのか?と言う自己嫌悪に陥ってしまったのだ。

つまり成し遂げている彼女に対し、成し遂げていない俺がファンとしてここに立っていていいのか?という疑問である。

こうして僕は自分に対してある意味立ち向かわなければならなくなった。
これから何か成し遂げるために行動するのか?それとも成し遂げずにそのまま行くのか?と言う分岐だ。

もちろん成し遂げたほうがいいに決まっている。そっちのほうがつらいし大変だがその分見返りがデカいからだ。

しかし、ここでブレーキを踏むのは今まで何も成し遂げてない自分である。

今まで何もしてこなかったんだからあきらめてこのまま遊ぼうぜと。

 

やるしかないんだが、一歩が踏み出せないのだ。エイヤで踏み出せるのか?

グリットというあの概念を僕は一度も発揮したことがない。

成功者が共通して持つ「グリット」という能力--才能でも、努力でもない第3の要素とは? - ログミー

これからグリットを持ちえないところから強制的に生み出し続けるしかないのだろうか?

たぶんしかないのだろう。DAOKOを出汁にしてもだ。

ここまで書いて頭ではわかっているという言葉を重く痛感している・・・

とりあえずありがとう。いったん吐き出すことができた。

さんきゅーな