東屋書店

一つのブログは一冊の本である

広告

風来のタズネビト---ブログ読み

私の書いた本が出ました!!!

画像生成AIで絵を作りたい人必見です~

 

やあ、ふしめろんです。


ん?出だしがちょっと違うなって?
うん、めんどくさい仕事がひと段落して気分が幾分軽いからだね。
今日はブログ読み気楽にいこうぜ!

www.yusukeyonezawa.com

 

 

自分の人生に責任が背負えるのか? 

はてな注目エントリーでちらっとこの記事が見えたので、西宮市市長*1が成人式の場でいかに素晴らしいスピーチをされたのか興味がわいた。*2

 

スピーチの内容は該当記事に譲るとして、個人的感想として至極その通りであるが新成人に限らずこのスピーチの意味を理解し行動できる人間はどれほどいるのだろうか?となった。

 

このスピーチは人生の意思決定を他者に依存するのではなく、自らの判断で意思決定をしその結果については自らが責任を負わなければならない。と言った意味がかみ砕いて話されている。

 

しかしながら出席している20、19歳ではたぶん過半数以上がどこかの会社に勤めることになるのだろう。
それは全く問題ないのだが、会社内こと仕事上においては年上のアドバイス、先人の知恵と言ったものが重要な意味を持つ。その仕事上での通念、ビジネスマナー、対応ノウハウなどは基本としてわかっていなければならないし、また技術職であればその体系的な技術の可能性を知っている上司、先輩のアドバイスは非常に貴重なものだ。

 

しかし、自分の人生はそうじゃない。

 

自分の人生の先を知る人間はいないし、行った人間もいない。
似たような道を走った人間はいるが、同じ道はもう走れない。
他者が自分の人生を助けてくれることはあってもの責任を負ってくれることはない。
それが上司や親友、恋人、家族であってもだ。
自分が先を望み、見えた先に行くしかないのだ。
自分の人生は自分で決断する必要がある。

 

仕事と人生を分けて考える 

僕含めて今の20代は、先人の理解が得られにくい精神的に非常に厳しい環境にいるといえるだろう。と言うのもバブル崩壊後に生まれた我々は、仕事と人生を同一に取り扱える終身雇用制が構築されていた環境で育った世代が親であるからだ。


彼らの常識では仕事と人生は密接に関連し、会社も比較的大きなところが顕著ではあるが、家や車などの高額商品の購入補助だったりリゾート施設などの利用権利を保有し福利厚生として社員に使わせるという生活補助の機能も持ち合わせていたし、社員は生活の質→QOLを会社に保障されている事でQOLをある程度蔑ろにしても問題なかった。

 

しかし、今はどうだ。

環境のせいにするのも癪であるがワーク・ライフ・バランスと仕切りに叫ばれる今日。
そういった福利厚生を持ち得る会社は減り、残している企業であっても自らのQOLを考え直さねばならない時代が出てきていると僕は感じている。
自分の歩んできた人生を棚卸してそのうえで生活と仕事のバランスを模索することが出来なければ、そしてその技術を後世に伝えることが出来なければ今よりももっと精神的につらくなってくるのだろう。

*1:今村岳司氏(1972年生まれ)と言うらしい。公式ページを見る限り能力と熱意がある方のように思う。今村岳司 オフィシャルサイト

*2:不勉強にも西宮市の場所がわからなかったため調べたところ大阪市と神戸市の間に存在する。Google マップ