どうもふしめろです。
今一心不乱にこちらを読んでおります。
異世界物の王道です。
素晴らしいの局地。と思うのも異世界物久々に読んでいるからなのですが。
小説二作書いて思ったのはストーリーテリング、つまり物語の構成という物を考えずに書いていて、かなり苦しい思いをした。と言う記憶もさることながら、キャラを立たせるのに苦労した。と言う記憶もあります。
キャラ立ち→キャラとはなんなのか
さて、翻ってこの話を見ていると、キャラがしっかりと立っている。と言うことがよくわかります。
じゃあ、キャラって何なのでしょう?
これはある本を読んでからずーっと考えていました。
その本はまた後日紹介することにしますが、その本が言いたいのは
キャラを示す文を読んだときに、頭の中で想像される物は何なのだろうか?
と言うことです。
キャラは断片的にしか指示されません。
本と同じような形の引用を行いますが、これは物語の主人公のルーデウス(青年期)を客観的に見たときの描写です。
氷の彫像の間を縫うように歩いてきたのは、一人の青年だった。
彼を見た瞬間、わたしは心臓が早鐘を打つのを感じた。わたしの理想の男性がそこにいた。
柔らかそうな髪に優しげな顔立ち。
背は高く、ローブ姿――魔術師であるにもかかわらず、ガッチリとして見える。鼠色のローブに身をまとい、大きな杖を手に、こちらへやってくる。
あからさまにホッとした顔でわたしを見下ろし、「えっ? えっ?」
ギュっとわたしを抱きしめた。
暖かくて、力強くて、頼りになる腕だった。
ふわりと香る、ちょっと汗臭くて、でもどこか懐かしい匂い。
彼は中腰になり、わたしの首筋に顔をうずめるようにして、感極まったように大きく息を吸い込んだ。
さて、これを見て想像されるのは果たしてぼくの想像と親愛なる読者の皆様と同じような人物なのか? また、作者の想像する人物とどれほど似通って、あるいは違うのか?と言った話です。
例の本はたしかこのようにどうなんだろうね?と示唆するだけにとどまっていたはずですが、これを見て僕が考えていたのは、明らかに違うだろう。と言った実感でした。
例えば僕はこのキャラを大まかな骨格をこのように考えています。
このキャラにローブとか着せているわけです。
でも人によっては
こんな感じかもしれません。
でもこれだけキャラが違っても違和感なく受け入れられるのはなぜなんでしょうか?
どれほどキャラが違ってもそれは同一人物なのか?
そこでさらにその本は、演劇の俳優のような物なのではないか?と示唆します。
つまり、ロミオとジュリエットを演じる人間がこの世に数え切れないほどいて、前回見たロミオと前々回見たロミオはまるっきり違う人物でも、上演中はコイツはロミオであると観客は違和感なく受け入れています。(ですよね?)
それと同じなのではないか?と本はまたぼかして終わるのですが、この考え方を見ると、キャラは役なのではないのか?と言った疑念がわき起こります。
じゃあ、今度は役って何なのでしょうか?
役は概念なのではないか?
そうしたときに、役とはある意味記号の寄せ集めなのではないかと思うのです。
先ほどの無職転生に出てくるルーデウスにしたって、
- 無職
- 転生した
- はぐれ貴族の息子
- などなど
とかたくさんの属性がついております。
そしてロミオにしても、
- 名家モンタギュー家の息子
- 対立相手のキャピュレット家の娘に恋をしている
- 娘もロミオの事が好き
- などなど
とかいった多くの属性がついております。
そうした属性の中からルーデウスと言った概念、ロミオといった概念が生まれて、それが役になり、キャラとなって、僕らの目蓋の裏に現れるのです。
概念は頭の中に実在する
とりあえずふと適当な誰かを思い出して見てください。そうして、スーパーに買い物行ったときとかドラゴンと戦っているときとかいろいろなシチュエーションを想像すると、まあこうするだろうな。といったイメージが浮かびます。
ではいったんそれをやめて、適当な最近見たキャラを同じようなシチュエーションに投げ込むと、だいたいこうするだろうなと言ったイメージが同じように浮かびます。
そうしたときにキャラが勝手に動き出す。と言った言葉がありますが、これは頭の中では実際の人間と架空の人間の区別がついておらず、同じところにしまわれているから起こる現象なのではないのか?
と考えることが出来ます。人間は世の中を概念でとらえているのではないのかと言うことです。
まとめ
そうすると、キャラとはなんなのか?と言う話の結論なのですが、
それは概念でありキャラを立てると言うことは、概念を確立させると言うことになるのではないでしょうか?
ちょっと説明できたかはわかりませんが、これでしめます。