東屋書店

一つのブログは一冊の本である

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noteかブログか





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前も一度考えたことがあるのだが、noteにも活動拠点を置いてもいいのではないかと考えている。

 

というのもなかなかにこの公開ブログと言うものは一見自由に見えて人目を気にする必要がある。

 

読者の目を気にするのは当然として、広告の目を気にする必要がある。広告は一見何も見ていないようだが、彼らは無言で記事を熟読している。その読み込み具合といったら大したもので、ひとたび広告企業の規定にそぐわない記事を投稿しただけで、警告を送ってくるのだ。警察でさえそこまで読み込みことはないだろう。

 

もちろん、警告を送られるような記事というものは自然反社会的な内容を伴うもので、善良な一市民を自認する僕としてはそんな記事を書くつもりもないわけなのだが、この広告の目は親切にも毎日の成績をまとめて教えてくれるわけだ。

 

前日はこれくらいの閲覧があった、3ヶ月前と比較してこうだった、クリック数はこうだったときちんと数字にして教えてくれるわけだ。

 

数字に踊らせられない人間ならなんの気にもしないだろうし、うまく踊れる人間はその上でタップダンスでもブレイクダンスでも踊れるのだろうが、あいにく踊らせにくい人間でもうまく踊れる人間でもない僕はその数字に翻弄されてしまう。

 

ではnoteでならどうだろうか。

確かにnoteなら広告は貼れず、純粋に読者の目を気にして記事を書くことが出来るだろう。

 

しかし、それも程度問題で読者の目の比重が大きくなれば読者の目を気にする事になる。

 

広告も結局のところ間接的な読者の目の可視化であると考えればおのずと結論が出る。

 

僕が僕自身が他者の目を気にせずに記事を書く覚悟が、引いては人の目を気にせず生きていくと覚悟を決めなければずっとこの問題は解消されない。

 

結局は自分の問題なのである。