東屋書店

一つのブログは一冊の本である

広告

創作の偉大な力か精神の不調か

私の書いた本が出ました!!!

画像生成AIで絵を作りたい人必見です~

 

最近気分が落ち込んでいたが、やっとの思いで動画を一本作った。

まだ公開はしていないが作成した次の日のテンションは自分でもわかるほどに異様であった。

 

今までが80%のテンションであったのならこの日のテンションは160%ほどだ。

なぜここまでテンションが上がったかはわからないが、少なくとも今までずっと作らなければ作らなければと思っていたことができたという達成感のせいだと予想はつくもののここまでの上げ幅は想定していなかった。

 

だが実際ここまでの上げ幅があるのは自分でもおかしいと思う訳で、その実僕にはなにかしらかの躁鬱のケ(ないしは精神の病)があるのではないかと疑ったりもしている。

 

実際そのケがあるのではないだろうか? よくネットに転がっているADHD可能性チェックリストでチェックをするとほぼほぼ「傾向ありなので詳しくは病院で診断してもらってみてね」と出る。お前は折込チラシか

 

しかし、考えてもみてほしい。精神病のケがあるからと言って精神科の病院に行くのはなかなかにしんどいものがある。だって今までなに不自由なくとは言わないが自分の考える普通という概念に沿って今現在(僕の場合は28年)暮らして生きているのだ。

それを病院に行って精神病ですねと言われてはいそうですかと薬をもらって精神を変調させて暮らしを変えるのはなかなかに恐ろしいものがある。

 

とは言うものの、あなたは精神病じゃないですねと言われるのもそれはそれで恐ろしい。

先ほど「なに不自由なくとは言わないが自分の考える普通という概念に沿って」と言う感じに表現したが、精神病のケ。つまり普通の人間という概念の誤差で不利益を被っていたのではないかと思えばそれはそれで筋が通ってしまうような事象は幾度となく経験しているからだ。*1

 

世界がもし100人の村だとして自分がその村の中で下の方だとわかっていても、明確に自分が上から数えて99番目か100番目のどちらかだということを精神科に行って確定させるというのは、考えるだけで末恐ろしいのだ。

 

おそらくこの症状が致命的な損失を僕に与えない限り精神科にはいかないだろうし、もしそうでなく行くとしたら強制的に受けさせられる時だけだろう。

ある意味これはシュレーディンガーの猫のようなもので結果を観測するまでの猶予期間の中で僕たちは正気を保って生きているのかもしれない。

 

 

*1:おそらく誰しもがそう行った経験はあるだろう