最近思うのは、個人事業主とか経営者とかフリーランスとかそういうものになる人と言うのは社会に対する強い固定観念を持っており、ある意味人の言うことを聞かないような人がなるのだろう。
そして、固定観念のない人は固定観念の強い人のところで働くのだろうと考えるようになった。
僕が今まで思い描いていたのはこの逆で、固定観念のない人が自営業やフリーランスと呼ばれる業態につくのであって、固定観念が強い人がサラリーマン的に働くのだろうと思っていた。
だが、よくよく考えると社会に対する固定観念がないということは、自分の世界がないとも言えないだろうか?
世界はこうあるべきだ。世界のここがよくない。そうしたことを自発的に思えてこそ、では自分が解決してやろうという気概が生まれてくるものなのではないかと思ったりする。
いわば固定観念を持つということは世界に対する課題を見つけることができるということだ。
固定観念がないのであれば、世界ってそんなもんだろうねぇとあるがままを受け入れて課題があったとしてもなかったことになるのではないだろうか?
それはそれで、高度に環境に適応できるという意味で素晴らしい力である。
しかしながらサラリーマン的に働く・固定観念がない世界の経済は、規模拡大の経済、スケールすることが前提のお話であるように思う。
しかしながら固定観念のある世界の経済は、市場の期待値を上げる、マーケットキャップを上げることが前提のお話だ。
ハイパーカー市場が参考になる。
ハイパーカーは一台数億円の超高級車両のことだが、プリウスやジムニーと何が違うのだろうか?
車はA地点からB地点に行くための手段の一つであり、そうした固定観念のもと製作されていたのがプリウスやジムニーだ。しかしハイパーカーはA地点に置いておく車だ。
移動するための車ではなく、所有するための車がハイパーカーなのだ。
よって、ハイパーカーの生産台数は極端に少なくそれに比例して所有するに足る価値を付けられるため高額になる。
そしてこの所有する価値とは何かと言えばまさしく固定観念のことで、ハイパーカーと呼ばれる車は数あれど、一つとして他メーカーと似ている車はない。
語弊を恐れずに言えば、プリウスとインサイトのようにぱっと見でどちらかわからないような大衆車*1ではないということだ。
なので、もしサラリーマン的に生きる気がないのであれば、この価値を生み出せるほどの固定観念を持つ必要があるのだ。それができないのであれば、おとなしくサラリーマンで固定観念に飲み込まれていた方が気持ちよく生きられるだろう。
*1:もちろん車に少し詳しい人ならどちらかわかるとは思うが