どうもふしめろです。
小説書いていると、自然といろいろな情報が僕の中に入ってきます。
有り体に言うと、僕の中にアンテナが立ち周波数が合うようになったということです。
例えば”小説家になろう”さんや、”カクヨム”さんで書かれている多くの作家志望の方や、
”やる夫RSS+インデックス ”さんを見ればわかる様に様々なストーリーテラーの方々が面白い話を書かれています。
また、本屋さんの小説コーナーに行けばそれらの上位互換の様な作品が山ほどあるではないですか。
僕はこの中に無謀にも飛び込んでしまったのです。いや、初めからわかっていた事でしたが。
ただ、そうしてアンテナがいろいろなことを受信し始めると同時に自分がちっぽけな存在に思えてきたりします。それは無限とも思われる人たちが自分と同じジャンルで様々な活動をしているということが肌でわかるからです。
そうしてちっぽけな自分が再確認されるとこうも思います。
僕は彼らの中で頭一つ抜けるためにどうやって戦っていけばいいのだろうか?
と。
戦うこと自体が間違い
そうした疑問に僕が出した回答は、そもそも彼らと同じ土俵に上がらないということです。これは非常に語弊を生みやすい言葉です。字面だけ取られて、敵前逃亡とみなされ弾劾されてもおかしくはありません。ですが、今回は非常に重要です。
それは前回の記事を書き終わった段階で気づいたことです。
限界を超える
音楽に演奏時間と言う限界がある様に、絵には二次元と言う限界がある様に、文章にも文章量と言う限界がある。
これです。物事には限界があります。上記の各ポータルサイトでは文章の限界を各人が競い合っています。
しかし、文章の限界と言う意味ではやる夫RSS+インデックス さんにまとめられてている物は小説家になろうさんや、カクヨムさんの物とは別次元の限界を示しています。それはAAつまりアスキーアートと言う存在です。これにより、文章だけでは表現しきれない描写も表現できました。同じ文章であってもです。
同じ文章なのになぜこうも毛色が違うのか?
それはプラットフォームの違いです。
小説家になろうさんとカクヨムさんに投稿している著者さんは紙書籍と言うプラットフォーム上での戦いを繰り広げています。
しかし、やる夫RSS+インデックス さんでまとめられている著者さんは2chに準ずる掲示板上と言うプラットフォーム上での戦いを繰り広げているのです。
この2つはプラットフォームが違えば、そのプラットフォーム上でしか見ることのできない表現が生まれると言う好例です。
では僕は今回電子書籍というプラットフォームを選択しています。ではそのプラットフォーム上では何が起こるのでしょうか?
では電子書籍の限界は?
今まで出てきた電子書籍をそこそこ読んでいますが、あいにく限界という物を見たことがありません。
なんか上から目線ぽいですが、今まで読んできた電子書籍は全て紙でもできることでは?と言った疑念がぬぐえないのです。
なぜなら、この本は電子書籍でしか読めないなーと様々な書評家が言っている本は、
大方奇書の類ではないのか?と僕が思うからです。
つまりまだ電子書籍ネイティブなコンテンツが誕生していないことを意味します。
まだ、著者自身が紙書籍と言った概念から脱し切れていないのです。
なのでそれを僕がやろうと思います。今書いている二作目は見事に構成的に紙書籍から脱し切れていないので、一から考えてみようともいます。
まとめ
最後の宣言は僕にとって非常にきつい宣言です。なぜなら電子書籍の事を全く知らず、二作目を書き終わったら、一から様々なことを勉強しなければなりません。
そして勉強した結果、電子書籍の基本原理が紙書籍から脱し切れていない場合には敗北宣言をしなければいけません。
ミスすることは悪くないっていっただろ
失敗は悪く無いんだよ
一番良くないのは
失敗を怖がってプレーする事だ
by松岡修造
なので、胸を張って挑戦することにします。