「好きを仕事に」とは数年前から言われ続けてきたこのインターネット社会の神聖なるお題目で現実社会にも徐々に浸透し始めているのだが、実際はそれを達成できるのはごくごく一部の人間だけである。
しかし、この文句はわかりやすく、夢がありそして注目を集めやすい標語*1のためなんどもリピートされ子供達に刷り込まれて、そこから若年層の大人へ浸透中である。
この様子を見て僕は何とも言えない悲しみというか諦観の念を抱くわけだ。なぜなら僕はこの標語が適用されるような人間ではなさそうだぞ? と言うことをこの数年間で学んでしまっている最中だからだ。もちろん人生は無限大なので、明日にもこの標語の範疇に収まっていたことが発覚することだってあるが、今の所範囲外だ。
そうした諦観をもつ僕ではあるが、最近思うところあり「もし自分が未来ある子供と大人たちに何か話さなければならないとしたら何を話すか」と言うことを考えているのだが、その壇上では「好きを仕事にする」と言う標語はある程度否定しておかなければならないのではないかと考えるようになった。
おそらく、彼らはそこかしこで聞かれる好きを仕事にと言う標語に振り回されて僕と同じような状況に陥らないとも限らない。なのでこの壇上で話すとしたらそうした言説に振り回されない気持ちを持つ方法だ。
それを考えたときに、好きを仕事にするのは前述の通り難しいが「幸せを持続させる」と言うふうに考えるとそれは難しくない話なのではないだろうか?
例えばYouTubeを見るのが好きな人がいるとしよう。*2おそらく多くの人はYouTubeが好きならYouTuberになればいいと言うと思う。しかし、YouTubeを見るとのYouTuberをやるのは全く違う話だ。これはどんな物事でも同じで、誤った道に人を導く恐れがある。*3
しかし、自分が何を幸せと思うのかを自覚してその幸せを持続するためにはどうすればいいかと考えると意外と話はシンプルになる。
例えばYouTubeを見るのが自分にとっての幸せであれば、YouTubeを見る事のできる時間がしっかりと取れる仕事に就いたり、YouTubeを見る事で何かしらかの価値を生み出す仕事を作ればいい。*4
ゲームをするのが好きなのであれば、ゲーム実況という文化が今は根付いているのでそれを行えばいいし、例えゲーム実況文化がなくてもゲームをプレイできるだけの時間を捻出できる仕事に就けばいいわけだ。
なので、好きなことを仕事にできない凡人は自分にとっての幸せとは何かを考え、見つけ、それを実行し続けるにはどうすればいいか知恵を絞ればいいということが言えるわけだ。
では、あなたにとっての幸せってなんだろうか? おそらくこれは偉大な問いの一つ*5でありその答え次第で自分の人生は大きく変わるだろう。